「解放の通信」第2号(2002.9)


           角 行成

 以下は、新世出版同人『新世ジャーナル』(1号、3号、4号 1993年6月〜94年8月)に連載したものである。

 連載第一回の後書きに、

 ハルは高校生、アキは40代半ばのつもり。こうした会話形式の叙述を採ったのは、なにも気取った啓蒙主義のためではない。私たちの子どもの世代がかつての私たちの反乱の時代の年頃になっているにもかかわらず、こうした会話が成立しきれていないもどかしさを痛感していた故である。
 かつての思い、そしてそれに連なる現在の思いを、何をどう説明すれば伝えうるのか。それはまた、現代から反照してどれだけ確信を再構成しうるのかということである。
 そんな思いで書き始めてみたが、さてこの先どうなるか。
 としていたが、三回でいったんの区切りとして終了した。

 今回の収録に当って、叙述の形式を変更することも考えたが、時間がかかりそうなので、(1)後半の「社会主義としての社会主義」の部分の叙述を若干改め(注の付加を含 め)、 (3)に一箇所の注記を付したほかは連載時のままである。

  (1)

ハル アキクン、社会主義って好き?
アキ 好きかどうかという前に、ハルのいう社会主義っていうのはどういうのだい。
ハル 例えばソ連とか北朝鮮とか……。
アキ で、どんなイメージなんだ?
ハル うんとね、貧しい……、自由に話ができない……。
アキ そうだな、いつのまにか社会主義は暗いイメージになってしまったね。
 以前はね、まぁ「輝かしい未来」で、ぼくたちも希望を託してたわけさ。いや、今だって間違っていたとは思ってないけどね。
ハル ほんとは社会主義が悪いんじゃなくて共産主義が悪いんでしょ?
アキ いやいや、そうか。ハル達の感覚じゃそうなるのか。
 共産党が社会党に名前を変えたりしているので、そう思うのかな。
 少し、じっくり説明した方がいいかな。
ハル ウン、教えて。
アキ 社会主義と共産主義がどう違うかというと歴史的にはいろいろあるんだけど……。
 ソ連や中国で自分達の社会を社会主義と呼んでいたのは共産主義の低い段階という意味だと言っていいだろうね。
 マルクスという人は共産主義社会を生まれたばかりの段階と発展した段階とを区別して論じているんだけど、ソ連や中国ではその生まれたばかりの段階のことを社会主義と呼ぶようになってきたということかな。
 ただし、それはあくまでもソ連や中国が自称してると言うことで、実際にマルクスの言ってた意味で共産主義の最初の段階になっていたかどうかは別問題だよ。
 ここまではわかるか?
ハル ウン、ちょっとややこしいけど。
アキ で、なぜ、社会主義や共産主義なのかっていうと、日本やアメリカみたいな社会が持っている矛盾は、資本主義という仕組みに根本原因があるのだから、その仕組みを変えないかぎりだめなんだ、と。その資本主義に代わる仕組みとして、出てきたのが社会主義や共産主義という考え方なんだ。
ハル フーン。
アキ さっき、ちょっと名前を出したマルクスという人が、それまでのいろんな社会主義の考え方を批判して理論を整理するんだよ。
 社会主義と言うのは資本主義に代わるプランをあれこれと空想することではないんだ、資本主義の社会的災害を打ち破る能力を持った人たちもまた打ち破らざるをえないような条件も資本主義社会のなかで作り出されるんだ、というようなことを言ったわけさ。
 エンゲルスというマルクスの親友が書いた『空想から科学への社会主義の発展』という本があって、一時期は入門書としてよく読まれたんだけどね。
 『空想から科学へ』は、晩年の著作だけど、こっちの『経済学・哲学草稿』という本はマルクスの若い時の原稿で、それだけ問題意識が浮かび上がっている。ちょっと出てくる言葉になじむまでは読みにくいかもしれないけども、ぼくたちの若い頃の愛読書なんだ。
 ついでにいうとね。ほらこの伊藤誠の『現代の社会主義』に、「(社会主義という用語は1827年にはじめて用いられた。それは当初)個人主義に対する発想を示すものとされ……」そして、「若き日のマルクスとエンゲルスも、この時期(1840年代当時)には社会主義者とは名乗っていない」となっている。
 『経哲草稿』には共産主義という言葉とともに社会主義という言葉も出てくるんだ。その使い分けがちょっとおもしろい。書いたのは1844年となってるよね。

(1)しかし社会主義としての社会主義はそうした媒介をもはや必要としない。(2)それは、存在としての人間と自然の、理論的・実践的に感覚的たる意識から出発する。それは、もはや宗教の止揚によっては媒介されない、積極的な、人間の自己意識であり、これとならんで現実的生活は、もはや私有財産の止揚によっては、すなわち共産主義によっては媒介されない、積極的な、人間の現実性である。(3)共産主義は否定の否定としての肯定であり、それゆえ、人間の解放と回復の、現実的な・もっとも近い歴史的発展のための必然的な・契機である。共産主義はもっとも近い将来の必然的な姿態であり、その精力的な原理である。しかし共産主義は、そのようなものとしては、人間の発展の目標――人間社会の姿態――ではない。
 (カッコ数字は引用者。訳文はこの箇所のみ新潮社版『マルクス・エンゲルス選集』)
 つまり、「社会主義としての社会主義」は否定性によって媒介されない状態として叙述され、一方、「共産主義」は「私有財産の止揚」としてまだ否定性によって媒介されたものとして、むしろ低い段階として描かれていることが興味を引くところだよね。
 註・経哲草稿の別の箇所(「ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判」として編集され ている箇所)で、「それはちょうど、神の止揚としての無神論が理論的人間主義の生 成であり、私有財産の止揚としての共産主義が、人間の財産としての現実的な人間生 活の返還請求であり、このことが実践的人間主義の生成であるのと同様である。いい かえれば、無神論は宗教の止揚によって、共産主義は私有財産の止揚によって、自己 を媒介した人間主義である。この媒介の止揚――とはいってもこの媒介は一つの必然 的な前提なのであるが――によってはじめて、積極的に自己自身からはじめる人間主 義、積極的人間主義が生成するのである。」と書かれているのも同様の内容である。
 じゃ、ここでいう社会主義が何なのかということについては、「社会主義とは……である」というような書き方はないんだ。ここの叙述全体が「社会主義」について述べているといっていい。
 したがって社会的性格が、この運動の一般的性格である。社会そのものが人間を人間として生産するのと同じように、社会は人間によって生産されている。……それゆえ、社会は、人間と自然との完成された本質統一であり、自然の真の復活であり、人間の貫徹された自然主義であり、また自然の貫徹された人間主義である。

 ……人間の個人的生活と類的生活とは、別個のものではない。

 こうして思惟と存在とは、たしかに区別されてはいるが、しかし同時に、相互の統一のなかにある。

 人間についての科学が自然科学を自分のうちに包みこむのと同様に、自然科学は後には人間についての科学を包みこむであろう。すなわち一つの科学が存在することになるであろう。……

 自然の社会的現実と人間的な自然科学あるいは人間についての自然的科学とは、同一のことを示す表現である。

 しかし社会主義的人間にとって、いわゆる世界史の全体は、人間的労働による人間の産出、人間のための自然の生成以外のなにものでもないのであるから、したがって彼は、自己自身による自己の出生について、自己の発生過程について直観的な、反対できない証明をもっているのである。

 と、いうんだね。
 このあたりの「社会そのものが人間を人間として生産するのと同じように、社会は人間によって生産されている」「社会は、人間と自然との完成された本質統一」「世界史の全体は、人間的労働による人間の産出、人間のための自然の生成以外のなにものでもない」ということのなかに、「人間」「自然」「社会」「労働」の概念の「社会主義」的把握を把むことが出来ると思うんだ。

 ちょっと、話が脱線して難しくなったかな。休憩。

 引用は城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波文庫の[私有財産と共産主義]の箇所

  (2)

ハル この前の、社会主義の話しの続きなんだけど、アキくんたちは、どんなことを考えていたのか話してよ。
アキ そうだね。この前も話しに出したけど、『経済学・哲学草稿』の中に、こういう一節がある。

 私有財産にたいする疎外された労働の関係から、さらに結果として生じてくるのは、私有財産等々からの、隷属状態からの、社会の解放が、労働者の解放という政治的なかたちで表明されるということである。そこでは労働者の解放だけが問題になっているようにみえるのであるが、そうではなく、むしろ労働者の解放のなかにこそ一般的人間的な解放がふくまれているからなのである。そして一般的人間的な解放が労働者の解放のなかへふくまれているというのは、生産にたいする労働者の関係のなかに、人間的な全隷属状態が内包されており、またすべての隷属関係は、この関係のたんなる変形であり帰結であるにすぎないからである。
 (『経済学・哲学草稿』「第一草稿 四疎外された労働」)
 これは、1844年のいわゆる初期マルクスといわれる時期のものだけど、同じようなことは1864年の国際労働者協会の規約前文にもある。
 労働用具すなわち生活源泉の独占者への働く人の経済的隷従が、あらゆる形の隷属、あらゆる社会的悲惨、精神的退化、政治的従属の根底にあること、
 それゆえに、労働者階級の経済的解放が大目的であって、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものであること、
 (『国際労働者協会規約前文』1864年)
 こういうような意味で、労働者階級の解放ということを考えていたといえばいいかな。
ハル ふーん。労働者の解放か? もう一つピンとこないなぁ。
アキ 別の言い方をすれば、賃労働制度というのは、例え自由な契約的な合意に見えようとも、賃金奴隷制度であり、これは廃止しようということだ。
 すなわち、賃金労働者は、ある時間を無報酬で資本家のために(したがってまた剰余価値にたかる資本家の伴食家のたちのために)はたらくかぎりで、自分の生活のためにはたらくことすなわち生きることをゆるされるのだということ、全資本主義的生産制度の中心問題は、労働日の延長または労働力の生産性の発展ないしその緊張の強化などによって、この無償労働を増大させることにあるということ、したがって賃労働制度は一つの奴隷制度であり、しかも労働者のうけとる支払いがよりよくなるかよりわるくなるかには無関係に、労働の社会的生産力の発展につれてますます苛酷なものになる奴隷制度であるということが、それである。
 (『ゴータ綱領批判(ドイツ労働者党綱領評註)』1875年)
 そうはいっても、今の日本が、全体として豊かになったという一面は否定できない。ただし、それがいろんな外国の犠牲の上に成り立つという現代資本主義の特性と、裏側には退廃や荒廃がピッタリ張りついていて、しかもきわめて不安定な「繁栄」でしかないことを見過ごすことはできない。
 有名な『資本論』のなかで、資本主義生産の特徴を指摘しているのをいくつかあげてみようか。
 資本主義的生産は、それによって大中心地に集積される都市人口がますます優勢になるにつれて、一方では社会の歴史的動力を集積するが、他方では人間と土地とのあいだの物質代謝を撹乱する。すなわち、人間が食料や衣料の形で消費する土壌成分が土地に帰ることを、つまり土地の豊饒性の持続の永久的自然条件を、撹乱する。したがってまた同時に、それは都市労働者の肉体的健康をも農村労働者の精神生活をも破壊する。

 資本主義的生産は、ただ、同時にいっさいの富の源泉を、土地をも労働者をも破壊することによってのみ、社会的生産過程の技術と結合とを発展させるのである。

 この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と手を携えて、ますます大きくなる規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使えない労働手段への労働手段の転化、結合的社会的労働の生産手段としての使用によるすべての生産手段の節約、世界市場の網のなかへの世界各国民の組入れが発展し、したがってまた資本主義体制の国際的性格が発展する。この転化過程のいっさいの利益を横領し独占する大資本家の数が絶えず減ってゆくのにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取はますます増大してゆくが、しかしまた、絶えず膨張しながら資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大してゆく。

 ここで指摘していることは、100年以上も前に書かれたとは思えないぐらいに新鮮だと思うけどね。
ハル それで、それじゃあその労働者の解放のためにはどうしようというの。
アキ さっきの『ゴータ綱領批判』のなかに、
 資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない。
 という、有名な一節がある。
ハル エーッ、やっぱり、独裁なんだ。
アキ ウン、ちょっと待てよ。世界史で習ったかも知れないけど、1871年にパリ・コンミューンが成立した。知ってるかな。
ハル ちょっとだけ、習った。
アキ パリ・コンミューンの説明までしてると話が長くなるから、それはおいといて、その経験をまとめたのが、『フランスにおける内乱』だ。そこで、
 コミューンがさまざまな利害集団がコミューンを自分の都合のよいように解釈したことは、従来のすべての政府形態が断然抑圧的なものであったのにたいして、コミューンがあくまで発展性のある政治形態であったことを示している。コミューンのほんとうの秘密はこうであった。それは、本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級にたいする生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態であった。

 生産者の政治的支配と、生産者の社会的隷属の永続とは、両立することはできない。だから、コミューンは、諸階級の、したっがてまた階級支配の存在を支えている経済的土台を根こそぎ取り除くための桿杆とならねばならなかった。労働が解放されれば、人はみな労働者となり、生産的労働は階級的属性ではなくなる。
 (『フランスにおける内乱』1871年)

 「労働の経済的解放をなしとげるための、ついに発見された政治形態」とは、生産者自身が政治的支配につく、ということだ。
エンゲルスは、1891年の序文で、
 社会民主党の俗物はちかごろ、プロレタリアートの独裁という言葉を耳にしてまたもや彼らにとって薬になる恐怖におちいっている。よろしい、諸君、この独裁がいかなるものかを諸君は知りたいのか? パリ・コミューンを見たまえ。あれがプロレタリアートの独裁だったのだ。
 と、言っている。
 じゃあ、パリ・コミューンはどういう独裁だったんだろうか。それは、すべての官吏や裁判官までも選挙で選ぶ徹底した民主制だ。
 マルクスが言う独裁は民主制の対立概念ではなくて、国家はある階級の他の階級に対する独裁である、という意味なんだ。議会制ブルジョア独裁という規定があるように、君主制であろうと共和制であろうブルジョア独裁はブルジョア独裁なんだ。
ハル じゃあ、独裁なんて言葉を使わなければいいのに。
アキ そうじゃないんだ。いまの日本がブルジョア独裁だというのは、資本と賃労働の体制を維持することを死活問題にしているといっていいように、プロレタリア独裁国家は賃金奴隷制度の廃止に向けた活動を死活問題にしているということだ。そのことは曖昧にしない方がいいと思う。
 ただ、誤解を避けるためには、評議会制プロレタリア独裁とか、言い方を考えた方がいいかもしれない。評議会というのはロシア語のソヴィエト、ドイツ語のレーテの訳語で、職場組織の地区連合という形態かな。
 単純に言って、プロレタリア独裁のもとで、資本家が一人もいなくなれば、賃労働者もいなくなる。そのときには既に、国家は、少なくとも内に向かっては、国家ではないものに大きく変貌を遂げている。逆に言えば、プロレタリア独裁国家であるということは、まだブルジョアが存在しているということだ。
 現にパリ・コミューンでの個別的な諸方策の例として、
1)パン焼職人の夜業を廃止したこと、
2)雇い主がいろいろな口実で彼らの労働者に罰金を科して賃金を下げるならわしを、罰則を設けて禁止したこと、
3)当の資本家が逃亡したと作業中止の道を選んだとを問わず、閉鎖されたすべての作業場と工場を、補償を支払うという留保づきで、労働者の組合に引き渡したこと、
 などが『フランスの内乱』で挙げられている。
ハル 労働者の解放が目的で、そのためにはプロレタリア独裁が必要だ、まではわかったけど、それからの社会はどういう仕組みになるの。
アキ うん、それが問題なんだ。正直言ってぼくは、あんまり関心がなかった。「生産者の政治的支配と、生産者の社会的隷属の永続とは、両立することはできない」ということ、したがって生産者が政治支配につくことが大事なので、それさえできれば、後は心配いらない、と思っていた。
ハル だけど、ソ連や中国はうまくいかなかったんでしょう。
アキ いや、だからソ連や中国は労働者がきちんと政治支配を握っていないことが問題なんだと。
ハル そうか、じゃソ連の場合は権力を握っていたのは誰なの。共産党というのは労働者の代表じゃないの。
アキ 労働者の代表を名乗りながら、労働者を支配する共産党官僚とは何か。これはこれでいろいろと議論のあるテーマなんだけど、今日のところは、さっきの話をに戻そう。
 さっきいったように、昔はあまり、関心がなかったんだけど、最近のソ連、東欧、中国の現実を見るにつけやっぱりきちんと考えなければいけないなと思って、少し考えてるんだ。
ハル それで……?
アキ それはちょっと疲れたので、次回ということで……。

  (3)

アキ ベルリンの壁が崩壊してしまった現代に、社会主義という言葉を、なお使うとすれば、単にスターリン主義への原理的な批判にとどまらず、もう少し自分達が考える社会主義のイメージをはっきりさせなければ理解が得られにくいと思うんだ。
ハル それで……?
アキ ぼくは、現代において社会主義を考えていく場合のキーワードは、「生産協同組合」と「国家」だと思う。
ハル 生産協同組合って、何? 生協のこと?
アキ いや生協はふつう消費生活協同組合の略だから、消費協同組合だね。消費者が出資して、実際にやっているのは流通業だ。
 ここでいっているのは、労働者自身が出資して自らがはたらくというような形態の協同組合のことだ。『資本論』では、資本主義下の株式会社と対比して説明している箇所がある。

 労働者自身の協同組合工場は、古い形態の内部では、古い形態の最初の突破である。もちろんそれはどこでも、その現実の組織においては、既成制度のあらゆる欠陥を再生産しているし、また、再生産せざるをえないのではあるが。しかし、当初はただ、労働者たちが組合としては彼ら自身の資本家であるという、すなわち生産手段を彼ら自身の労働の価値増殖のための手段として使用するという形態をもってするにすぎないとはいえ、この協同組合工場の内部では、資本と労働の対立は止揚されている。これらの工場は、物資的生産諸力とそれに対応する社会的生産諸形態の一定の発展段階の上では、いかに自然的に一生産様式から新たな一生産様式が発展し形成されるか、を示している。資本主義的生産様式から生ずる工場制度がなかったら、協同組合工場は発展しえなかったであろうし、また同じ生産様式から生ずる信用制度がなかったとしても、同様であろう。信用制度は、それが資本主義的個人企業の資本主義的株式会社への漸次的転化のための主要な基礎をなすのと同様に、多かれ少なかれ、国民的な規模における協同組合企業の漸次的拡張のための手段を提供する。資本主義的株式企業も、協同組合工場と同様に、資本主義的生産様式から結合 assoziiert 生産様式への過渡形態として見られるべきものであるが、ただ、一方では対立が消極的に、他方では積極的に止揚されているのである。
(『資本論』第3巻第27章「資本主義的生産における信用の役割」)
 この協同組合運動と労働者階級の政治運動の関連について、少し長くなるけど、国際労働者協会の創立宣言で述べている箇所をみてみよう。
 しかし、所有の経済学にたいする労働の経済学のもっと大きな勝利が、まだあとにひかえていた。われわれの言うのは、協同組合運動のこと、とくに少数の大胆な「働き手」が外部の援助をうけずに自力で創立した協同組合工場のことである。この偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく見つもっても大きすぎるということはない。
  論議のかわりに行為によって、これらの実験はつぎのことをしめした。すなわち、大規模な、近代科学の要請に応じて大規模にいとなまれる生産は、働き手の階級を雇用する主人の階級が存在しなくても遂行できること、果実をむすぶためには労働手段は、労働する人自身を支配し強奪する手段として独占されるにおよばないこと、そして、奴隷労働や、また農奴労働と同じように、賃労働は、一時的な、おとった社会的形式にすぎず、よろこんではたらく手、いそいそした精神、喜びにみちた心をもってその勤労にいそしむ協同労働のまえに消滅すべき運命にあること、これである。
  同時に、一八四八年から一八六四年までの経験は、疑いの余地なくつぎのことを証明した。《それは、すでに一八五一年と一八五二年とに労働者階級のもっとも聡明な指導者たちが、イギリスの協同組合運動にたいして主張したことである。》原則においてどんなにすぐれていようとも、また実践においてどんなに有益であろうとも、協同組合労働は、もしそれが個々の労働者のときたまの努力という狭い範囲内にとどめられるなら、独占の幾何級数的成長を阻止することも、大衆を解放することも、大衆の不幸の重荷を目にみえて軽くすることさえも、けっしてできないであろう。
  労働大衆をすくうためには、協同組合的労働を国民的規模で発展させるべきであり、したがってそれを国民の資金によって助成すべきである。だが、土地の貴族と資本の貴族は、つねにその政治的特権を彼らの経済的独占を擁護し永続させるためにもちいるであろう。彼らは、労働の解放を促進するどころか、労働の解放のゆくてにひきつづきありとあらゆる障害物をおくであろう。このまえの議会でパーマストン卿が、アイルランド小作権法案の主張者たちをおさえつけたときの、あの冷笑を想起せよ。下院は土地所有者の議院である、と彼はさけんだ。
  それゆえ、政治権力の獲得が労働者階級の偉大な義務となった。労働者階級はこのことを理解したように見える。というのは、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスで、労働者党の同時的復活が起こり、その政治的再組織のための同時的努力がなされているからである。
 (『国際労働者協会創立宣言』1864年)
註・この引用箇所は協同組合の個々の勝利の限界、という文脈で引用されることが多いが、しかしこの引用の冒頭、「もっと大きな勝利」とは、十時間労働制の獲得よりももっと大きな勝利ということであって、「この偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく見つもっても大きすぎるということはない」という賛辞は掛け値なしのものである。
 つまり「労働の解放」のために、「協同組合的労働を国民的規模で発展させるべきであり」、そのために政治権力を獲得せよ、ということだ。
 同じようなことは、1866年の国際労働者協会ジュネーブ大会への『個々の問題についての指示』の第五項「協同組合労働」でも繰り返されている。
 ……それゆえ、大会は、協同組合組織のなかで特別の方式に味方するのではなく、若干の一般的な原則を宣明するだけにとどめなければならない。
a)われわれは、協同組合運動が、階級対立に基礎をおく現在の社会を改造する原動力の一つであることを承認する。この運動の大きな功績は、労働を資本に隷属させる現存の専制的で、貧困をうみだす制度を廃止して、自由で平等な生産者の協同社会という共和的で、幸福をうみだす制度でおきかえる可能性を、実地にしめしているところにある。
b)しかし、個々の賃労働者がその結合によってこの運動にあたえうるような零細な形態にかぎられた協同組合運動は、それ自身の力で資本主義社会を改造することはけっしてできない。社会的生産を自由な協同組合の大規模な、調和ある制度に転化するためには、全般的な社会的変化、社会の全般的条件の変化が必要であるが、このことは、社会の組織された強力すなわち国家権力を資本家・地主の手中から労働者自身の手中にうつすことなしには、けっして実現できない。
c)われわれは、消費協同組合よりもむしろ生産協同組合にたずさわるよう、労働者にすすめる。前者は現代の経済組織の表面にふれるにすぎないが、後者はその基礎を攻撃する。
d)われわれは、すべての協同組合が、その総収入の一部をさいて、実例ならびに指示により、いいかえれば新しい協同組合工場の設立をうながすための理論的および実践的手引により、協同組合の原理の普及をたすける基金をつくるよう、すすめる。
e)協同組合が普通のブルジョア的株式会社に変質するのを避けるために、そこではたらく労働者は、株主であるものもないものも、みな平等の分けまえをうけとらなければならない。われわれは、たんに一時的な措置として、株主が低い利率の利子をうけとることを承認する用意がある。
(『個々の問題についての指示』第五項「協同組合労働」1866年)
 ここでは、「社会的生産を自由な協同組合の大規模な、調和ある制度に転化する」ために、国家権力の獲得となっている。
 そして、パリ・コミューンの経験にふまえた『フランスにおける内乱』でも、当然協同組合的生産に触れられている。
 もし協同組合的生産が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義制度にとってかわるべきものとすれば、もし協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣とを終わらせるべきものであるとすれば――それこそは共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか!
 (『フランスにおける内乱』1871年)
 こうみてくると、プロレタリア独裁という政治上の過渡期の意味は、生産協同組合の大規模な発展と連合と単純化してもいいぐらいだ。
 しかし、実際は社会主義は国有化の別名ともとらえられるぐらいに、協同組合工場はレーニン・スターリン型社会主義建設のなかでは忘れ去られてしまうんだ。
ハル ふーん。どうして?
アキ レーニンは、革命の時期には協同組合をほとんど消費協同組合として論じていて、生産協同組合については、わずかにネップの時期に小経営の協同組合として消費協同組合に付随的に論じているにすぎないということもあるけど、より大きくは国有化ということの理解の問題だと思う。
 確かにマルクスもエンゲルスも「国有化」ということばは使ってる。その代表的な叙述を見てみると、
 プロレタリアは国家権力を掌握し、まず第一に生産手段を国有財産に転化する。しかもこうすることによって、プロレタリアートとしての自分自身を止揚し、かくしてまた国家としての国家をも止揚するのである。

 国家が実際に社会全体の代表者として登場する最初の行為――社会の名を以てする生産手段の掌握――は同時に国家として行うその最後の自主的行為である。社会関係への国家権力の干渉は、次々に一領域から他の領域へと無用なものとなり、次いでひとりでに眠りこんでしまう。人に対する統治がやんで、物の管理と生産過程の指導が現れる。国家は「廃止」されるのではなくて、それは死滅するのである。
 (『空想から科学への社会主義への発展』1877年)

 というようになっている。つまり、それは常にそれに引き継ぐ「国家の止揚」「国家の眠り込み」「国家の死滅」とともに使われているんだ。
 レーニン・スターリン型社会主義建設は、いろんな理由を付けながら結局この「国家の眠り込み・死滅」論を放棄する。したがって、例え、生産手段の国有化、計画経済というような言葉が、マルクス・エンゲルスと一致することがあったとしても、その核心の所で背反してしまっているということだ。
ハル さっき、「生産協同組合」と「国家」がキーワードといったのは、そういう意味だったのね。
アキ そう、だけど「国家」については、もう一つ言いたいことがあるんだ。
 マルクスが過渡期について少しまとまってふれている唯一の著作ということで関心を持たれてきた『ゴータ綱領批判――ドイツ労働者党綱領評註』(1875)は、本来、ラサール派批判の文書だ。ラサール派と言っても「それなあに?」という感じだろうけど、ラサールは、国家論においてマルクスに全面対立する国家社会主義者と言えば、このラサール派批判ということでもう一度見直すことの意義がわかるかな。
 ゴータ綱領では、生産協同組合については、
 ドイツ労働者党は、社会問題解決の道をひらくために、労働人民の民主的管理の下に国家補助による生産協同組合の設立を要求する。
となっていて、マルクスによって、
 労働者が協同組合的生産の諸条件を社会的な規模で、まず最初は自国に国民的規模でつくりだそうとするのは、現在の生産諸条件の変革のために努力するということにほかならず、国家の補助による協同組合の設立とは似ても似つかぬものである!」
 と、批判されている。

 マルクスのゴータ綱領批判書簡での危惧にもかかわらず、ドイツ社会民主党でのラッサール派の影響力はほとんどなくなる。しかし、その国家観はなんどもよみがえるんだよね。ベルンシュタインからカウツキー、ベーベルといった代表的なマルクスの後継者達まで「国家の眠り込み・死滅論」から離れて行き、第一次大戦後には、「ラッサールかマルクスか」「ラッサールに還れ」という声が喧しくなった(1919―20年にはベルンシュタイン編集のラッサール著作集全12巻が刊行されている)。
 そういうなかでレーニンは、理論的にははっきりと「国家の死滅」を擁護するんだけども、実践的には革命ロシアにおいて国家の機能はますます強められた。
 ロシア社会主義もヨーロッパ社会民主主義も、お互いに対立しながら、しかし、国家の機能の利用という点では一致していて、結局は、「国家社会主義」の二つのタイプになってしまったと思うんだ。
 先にあげた文章が直接的には、無政府主義的傾向に対して、協同組合運動の意義と限界を説いて、同時に政治運動の位置を明確にするものであったのに対して、ここでは国家社会主義的傾向の危険性を説いているのだ。
 マルクス主義は、一方に無政府主義、他方に国家社会主義と対抗しながら、自らを鍛えあげてきたと言っていいんじゃないかな。
ハル うん、昔の事は分かったけど、それで、実際にはどうするの。
アキ そう簡単に言うなよ。
 マルクス以後の生産協同組合の歴史という事では、何故、協同組合が消費協同組合一色になっていったのか、その中で、モンドラゴンの成功の秘密は何なのか。
 ベルリンの壁崩壊以降の時代――「国家社会主義」破産の時代――に、政治的対抗の軸はいかに形成されて行くのか。
 いろいろいいたい事はあるけど、またの機会にしよう。
                (了)