解放派の核心として共有さるべきこと

                                         角 行成

(一) 現在直下に進行するプロレタリアートの 共同社会性――革命の現在性

 解放派の出発点にある論文『共産主義と永続革命=世界革命』において、哲学の実現とプロレタリアの止揚という「ヘーゲル法哲学批判序説」の命題を解説的に引用してこういっている。
 「われわれは一方、哲学の現実化を哲学の止揚として、すなわち、“現実的な科学”になることとして把え、他方、プロレタリアートの止揚を、単に将来の問題としてではなく、現在の直下の問題として、すなわち、現在的に進行しているプロレタリアートの人間としての“普遍的結合”として把えた。」(『滝口弘人著作集』@62p)
 と。また同時に、「フォイエルバッハ・テーゼ」を引用して、
 「「古い唯物論の立場はブルジョア社会であり、新しい唯物論の立場は、人間的社会または社会的人類である。」――古い哲学とともに哲学一般にはっきりと訣別し、空想的な社会主義および空想的な共産主義から自己を区別し、経済学の批判を開始した若きマルクスは、いわゆる『フォイエルバハに関するテーゼ』に、新しい自己の立場をこう書いた。
 マルクスは単に将来の社会を予感してこういったのか? 否! それでは現在の階級的社会を忘れているのか? 断じて否! 「人間的社会」または「社会的人類」は、単に将来社会の予感でもなく、さりとて現在の階級的社会の忘却でもなくて、厳然としてまず現在の直下にある! それは、資本、または所有から全く切り離されて、ただ生身の赤裸々な「人間」として結合するほかはない人間の結合、プロレタリアートの革命的団結の運動として現在の直下にある! 現在が二重に重なっている。顕在しているブルジョア社会と、それとまっこうから革命的に敵対する――だが現在では「多かれ少かれかくされた内乱」(『共産党宣言』)として――、今はまだ潜在的な「人間的社会」と」(『滝口弘人著作集』@64p)
 としている。
 すなわち、ここで注意を払うべき点は、この「普遍的結合」は「現在の直下にある」というところにある。
 また、これは別の面からすれば、意識の二重化(共産主義的意識の発生)ということの基底には、現実の二重化(ブルジョア社会に全面的に対抗したプロレタリアートの団結)があるということも意味しているのである。
 これはレーニン主義批判の問題でもある。『何をなすべきか』のレーニンがどうであったかという問題にとどまらず、レーニンの物質規定にまで貫かれる問題点、レーニン主義が再び陥っている「存在と意識の転倒」の問題である。
 中原が、「それらの人々が、レーニンの「物質規定」を読んでそれから出発したか否かが問題なのではない」(『中原一著作集A』197p)。レーニンが落ち込んだ誤りが、分業にとらわれた「精神労働者」の「主体」としての対象認識の仕方の典型に他ならず、自称マルクス主義者の多くも陥りやすい誤りだったというべきである、というようなことを言っている。

 例えば、黒田寛一の主体性論は、「プロレタリアの歴史的自覚」(註1)となっているように、根源的蓄積過程(歴史的な所有と分離)への反省という「現実的な論理操作」とされていて、その現実的な認識根拠は社会的には基礎づけられていない。
 また他方、広松渉は、こうした黒田的論理を念頭においてか、結局「疎外論」は、「現に在る人々の本質なのではなく、理想として表象された構想」を免れ得ない、それは「被支配者における不平等に対する不満、平等の欲求が物神化され「本然的な姿」だと思念された顛倒」であるとして、初期マルクスの「疎外論」を斥ける。
 しかし、マルクス疎外論は、この現在の現実の二重化ということとして、現実的な社会的諸関係の上に展開されているのである。
 マルクスは、『経・哲草稿』において「自己疎外」を「実践的な現実的世界で」の自己疎外として、「他の人間たちにたいする実践的な現実的な関係を通じて」表現し展開している。そこでマルクスが用いている「類的存在」という規定は、フォイエルバッハにふまえたものであるが、マルクスは、一八四四年八月のフォイエルバッハへの手紙において、
 「あなたは――故意かどうか存じませんが――これらの著作で社会主義に哲学的基盤を与えました。共産主義者はこれらの労作をもすぐこのように理解しました。人間の実在的区別にもとづいた人間と人間との統一、抽象の天国から現実の地上へひきおろされた人類の概念、それこそ社会の概念でなくて何でしょうか!」
 として、類的概念を社会の概念だとしている。
 マルクスがフォイエルバッハを受け継ぎつつ、類的存在として表現したのは、自然的社会的存在としての人間である。
 初期マルクスの疎外論を否定した広松がたどりついた結論は、「賃金奴隷が本然の姿」であって、「彼はかかる自己の本質、自己の存在を自覚しこの自覚を契機として、自己の本質を革命的に否定する」とするのだが、その否定する根拠は示されることはない。それは、レーニン的外部注入論の構造そのものとして、「学知による導き」を称えることになる。
 疎外の否定のために、本然の姿の想定が必要なのではない、われわれが先に示したように、疎外を否定する社会性が現実的に育っていることこそが、必要にして十分なことである。

 解放派は、この現在の直下に進行する階級形成として、革命の現在性を問題にしてきた。
 「革命の現在性」は、解放派の組織的出発(「共産主義者通信委員会」の発足)の地点で、革命の五原則の一つとして確認されていることである。
 この「革命の五原則」について、『革労協再建連パンフ2』で、簡単にふれたことがある。以下に引用しておく。

 革命の五原則について
 「解放派」の出発点における確認が「革命の五原則」であったということからしても、この五原則がそれ以降の実践を経て以下に深化されてきたのかは重要である。かつての革同の中心メンバーの一人も「革労協―革同の分裂(統一の失敗)の原因は、結局、原則の確認の曖昧さにあった」と言っている。
 ここではさしあたって、五原則の相互連関について考えてみた。
 五原則は次の五つである。(註2)
 一、革命の永続性
 二、革命の世界性
 三、革命の暴力性
 四、革命の現在性
 五、分派闘争を通した党建設
一、二の永続性、世界性はプロレタリア革命運動の戦略規定である。一般に、「運動」は時間と空間の二つの契機(モメント)の統一である。そして永続性は時間についての世界性は空間についての規定であり、「運動」についての性格はこの二つの規定によって余すところなく、示されている。
 「運動」そのものの規定については一、二で尽くされているとすれば、三以降は何であろうか。それはむしろ方法論にかかわっていると見ることができる。
 すなわち、革命の暴力性とは革命の唯物論的性格、革命の現在性とは革命の弁証法的性格を示しているのだ。だからこそ、暴力性のブランキズム的(非弁証法的)理解や、現在性の待機主義的(観念論的)理解と訣別して、暴力性=現在性として把まなければならない。
 このように、この二つの規定は「運動」に対照してはプロレタリア革命の「方法」的性格を、媒介的には、明らかにしている。しかし同時に、そうした史的唯物論の「方法」に媒介されながら、直接的には戦略に対照される闘争戦術の規定である。
 職場・地域で実力闘争を展開する行動委員会運動(とその連合)こそが現在的ソヴィエト運動として、現在を単に未来のミニチュア像として構想するのとははっきりと区別された、革命の暴力性=現在性の具体的表現である。
 残された五は、闘争戦術に対照する組織戦術、即ち、三、四でみた革命の方法的性格に媒介された組織戦術である。
(革労協再建連『討議用パンフ・解放派再建作業の前進のために(その2)』「六、プロレタリア革命戦略の深化に向けて」八三年七月)

 ここで述べているように、「革命の現在性」は、革命の永続性と世界性が永続性=世界性と結ばれて把まれるように、現在性も暴力性と結ばれて、暴力性=現在性として把まれなければならない。
 また、ここでいう革命の暴力性とは「肉体を持った矛盾が肉体を持った衝突に到るになんの不思議があろうか」というような本質的な意味であって、いわば革命の肉体性、感性的性格のことである。この革命の暴力性の現在的展開は、全面開花した将来の予想図を現在に引き寄せて、その単純な拡大をはかっていくようなものではなくて、現実的攻防を通して画段階的に質的展開を遂げていく過程の現段階として、即ち「弁証法的に」展開されていくものと理解されなくてはならない。
 革マル派にあっては革命の現在性は共産主義者の団結(とされた革共同革マル派という組織)の拡大となっている。また階級的なものはどこまでいっても改良的であって革命的にはなりえないとして、自称「共産主義者」の団結はプロレタリアートの外からプロレタリアートを睥睨しようとする。こうして革マル派の革命の現在性は肉体を持たない幽霊的な観念的なものとなって現れる。

(註1)「賃労働者の自己疎外における自己分割の生きた直観は、かかる自己分割の止揚のための前提たる、疎外されない生産的労働者としての生産労働者という労働者の本来的な姿への物質的な反省(=分析的下向という経験的反省)を媒介として、賃労働者の自己分割の歴史的自覚へ、すなわち資本制的生産判断が生産判断の疎外された一形態であることの自覚へ(=上向的総合という概念的構成)、高まるのである。」(『プロレタリア的人間の論理』105p)がその一例。
(註2) なお、革命の性格の五つ目の規定として「革命の同時性」を列挙する見解があるが、「革命の同時性」は「永続性=世界性」の中にふくまれるものであって、それに並ぶ規定ではない。永続革命=世界革命の一局面として、「先進国同時革命」の一時期があり、それをもって組織だった世界革命が始まるとしていたのである。その意味では「世界同時革命」といってもいい。七〇年初頭の学生戦線では、こうしたことにふまえて「先進国‐世界同時革命」として定式化したのである。

(二) 協働の契機――社会的労働における 自然的関係と社会的関係

(1)協働の契機と意識の発生
 @社会と意識の関係は、また意識の発生をどうつかむかという事でもある。あるいはまた人間を他の動物からどう区別するかという有名な問題にも帰着する。
 多くの人が論じているところだが、マルクスは『ドイツ・イデオロギー』において、
 「これら個人が動物から区別される点となるところの、かれらの最初の歴史的行為は、彼らが思考するということではなくて、かれらの生活手段を生産しはじめるということである。」(『ドイツ・イデオロギー』岩波新版35p但し訳文は旧版――「フォイエルバッハ」異文)
 「ところで生活の生産は、労働における自己の生活の生産も生殖における他人の生活の生産も、そのまますぐに二重の関係として――一方では自然的な、他方では社会的な関係として――あらわれる。ここに社会的というのは、どんな条件のもとにしても、どんな様式によるにしても、またどんな目的のためにしても、いくたりかの個人の協働という意味である。(同、54〜55p)
 と述べている。
 そして、「根源的な歴史的諸関係の四つの契機、四つの側面(物質的生活そのものの生産、新しい欲求の産出、生殖における他人の生産、協働――引用者)を考察したいま、はじめて我々は人間が意識をもっていることをみいだす」(同、56p)、としている。
 この『ドイツ・イデオロギー』の箇所は度々引用されるのだが、しかしこの「社会的関係」、協働という側面について、正当な評価が与えられているとはいえない。
 また、エンゲルスは、「猿の人間になるにあたっての労働の役割」や『家族・私有財産・国家の起源』等として、人類の発生の歴史に焦点を置いた考察を残したことで知られているが、そのエンゲルスが、人類の社交本能、労働における相互扶助、相互協力について、例えばこう書いている。
 「『万人にたいする万人の闘い』が人類発展の第一段階だった、というあなたの説には私は同意できません。私の見解では、社交本能こそは、猿類からの人類の発展の最も重要な槓杆の一つだったのです。最初の人類は群をなして生活していたに違いないのであって、われわれがさかのぼることができるかぎりでは、実際にそうだったということを見いだすのです。」(「エンゲルスのラブロフへの手紙」一八七五年一一月)
 さらに、「猿の人間になるにあたっての労働の役割」(一八七六〜一八七七年頃)においても、労働における協力について、
 「あらゆる動物のうちでもっとも群居的な人間」「労働の発達は必然的に社会の各成員を相互にもっと密接に結合させることに貢献した。それは労働が相互扶助と相互協力の場を増大し、各個人にとってこの協力が有用であるという自覚を明瞭にしたからである。やがて、生成中の人間は、互いに何かものを言わなければならぬまでになった」、と。
 しかし、こうした叙述はあまり注目されていないし、先のマルクスの「社会的関係」あるいは「協働」という側面の叙述と結びつけて論じられることもなかった。
 さらに、マルクスは、こうした観点において、
 「人間は本来、アリストテレスが考えるように、政治的動物ではないにしても、とにかく社会的動物である。」(『資本論』「協業」)
 と、ほかならぬ「協業」の箇所で述べている。「社会的動物」の意味は鮮明だろう。

 Aしかし、マルクスが、労働における「社会的関係」あるいは「協働」の契機として述べていることについて、誤まった理解が少なくない。誤りの一つの典型は、日本において先駆的に社会の起源をエスピナスに拠りながら論じた梯明秀である。
 エスピナスの『動物社会』は「社会生活が動物の世界において普遍的事実であること」として「原生動物から類人猿までの動物社会を歴史的に展開した」(『社会の起源』青木文庫版146p)ものである。
 そして動物社会の最高の発展段階である「関係の生活」について、「関係の生活はかくて、栄養あるいは生殖のいかなる器官からも出発しないが、しかし特殊なる生理的器官としての脳髄に出発するというべきである。」(前掲書140p)「脳髄の発達の一般的条件を関係の生活に帰したのは、エスピナスである。エスピナスは、関係の生活を種族社会あるいは群衆とよんで、動物社会の発展段階において最高の形態としている。」(前掲書141p)と、梯はエスピナスを引き継ぐ。
 さらにその群衆生活から、人間の生活への発展は、「関係の意識の意識」であるとする。
 こうして「脳髄」すなわち思考の器官の発達を出発点にしながら動物の社会の発展を説き、その脳髄の発達を「労働」に連関させつつ(註3)、労働における目的意識性を媒介にして「関係の意識の意識」=自覚によって人間社会の成立を説く(註4)というのが梯の論理である。労働を媒介することでマルクスを継承しているつもりになっている。マルクスが諸個人と動物の区別を、端的に「思考するということではなくて」と述べているにもかかわらず、そうである。

(註3)「萌芽的ではあるとはいえ、類人猿は生産的な労働をするのである。マルクスは、この動物の労働とわれわれ人間の労働とを、本能的であるか目的意識的であるかによって区別した。」(梯明秀『社会の起源』182p)
 「脳髄発達が生物史の窮極目的であるとは、かかる地殻的本質の実現たるかぎりのものであることはくりかえしていうまでもない。そして、人類がこの窮極目的を実現する生物であるかぎりで、脳髄の発達が人類によって飛躍的でなければならず、そのためには直立歩行を媒介しなければならなかったのである。」(前掲書 136p)「人類の二足歩行の原因は手の労働でなければならぬ。まず上肢の特殊的発達あって、しかるのち、後肢の発達があったのでなければならぬ。二足歩行に上肢が適応したという前述の動物的起源論の結論は逆でなければならぬ。」(前掲書 191p)
(註4)「人類祖型の智能は増加し、単に本能的に行動するだけでなく目的意識的な活動をはじめた。人類祖型は考えることを習得したのである。群衆生活における相互の関係について考えだした。関係の意識を意識しはじめ、ついに群衆生活そのものを自覚しだしたのである。自覚された群衆意識は、もはや、かの同類意識でなくして種族意識でなければならぬ。」(前掲書 201p)
 梯にも、「前脳の発達のごときも、社会的意識発展の結果的所産とみるべく、けっして後者の、したがってまた個別的意識発生の原因とすべきではない。意識は本来的に社会的なのである。」(前掲書 177p〜178p)という視点はある。しかし、社会的意識の発展は「主客合一による対象的自己運動における歴史的全体性の見地」(前掲書 178p)すなわち「物質の自己運動」の中で捉えることを意味しているにすぎないのである。
 「生産(労働)」から社会の起源を展開していくのだとしながら「思考(意識)」から展開してしまう根本的限界はここにあるとしなければならない。それではその限界はいかに現れてくるのか
 一つには身体観の問題があるだろう。
 「この思想は、自然が、自己の所産たる人間を媒介にして自己の本質を自覚するものとして、自己媒介的な自己運動にあることをいみする。いいかえれば、自然は自己の人間的存在において自己の自由性を実現する。なお譬喩的にいえば、人間は自然の頭脳であり、自然は人間の非有機的体躯であるという関係になる。」(梯明秀『社会の起源』「再刊序文」11p)という規定である。
 この後段の人間観は、マルクスが、
 「自然、すなわち、それ自体が人間の肉体でない限りでの自然は、人間の非有機的身体である。人間が自然によって生きるということは、すなわち、自然は、人間が死なないためには、それとの不断の交流過程のなかにとどまらねばならないところの、人間の身体であるということなのである。」(「疎外された労働」)
 と言っているのと一見似ているようで――梯自身はこの規定を言い換えただけだと思っているのだろうが――、まったく異なった規定になっているというところに一つのポイントがある。
 マルクスが、自然は人間の非有機的身体であるというとき、自然に対しているのは人間の有機的自然である有機的身体であって、「脳髄」ではない。マルクスの身体観は「生ける人格性すなわち肉体性」であって、人間の本質を「脳髄」に切り詰めて把握するようなことはしない。
 梯のように、自然と人間の関係を自己媒介的な自己運動として、そこから自覚が導かれる構造にあっては、自然と向きあう人間の身体は位置づかない。梯にとって問題とされるのは「意識」であって、その唯物論的説明が「脳髄」という器官(物質)を持ち出すことだと思いこんでしまっているのであろう。
 さらに第二にそれは、先述した『ドイツ・イデオロギー』の生活の生産における自然的関係と社会的関係、とりわけ協働についての無理解となってあらわれる。
 自然と社会の関係ということについては確かに一義的ではないが、しかし、さらにはっきりと「ここに社会的というのは、……いくたりかの個人の協働という意味である」としていることで、ここでの意味は鮮明である。この自然的関係と社会的関係とは、「生産のさいに、人間は、自然にはたらきかけるばかりでなく、またたがいにはたらきかけあう。」(『賃労働と資本』三)という生産における対象的関係と協働的関係のことである。この単純なことを、梯は誤解してしまうのだが、それには根拠があるのである。
 梯が『ドイツ・イデオロギー』のこの当該箇所を引用して、「自然的なものと社会的なものとの関係」について直接に論じている箇所がある(前掲書 219p〜224p)。以下少し詳しく見ておこう。
 「かくて「生の生産、すなわち、労働による自分自身の生の生産、および生殖による他の人間の生の生産は、既に、ただちに二重の関係として、すなわち、一方では自然的な関係として、他方では社会的な関係として現れる」。したがって、社会的な関係としてあらわれるかぎりでは、あらたに経済的法則によって発展するわけであるが、依然として自然的な関係としてあるかぎりでは、自然淘汰の作用を脱することはできない。」(218p)「自然淘汰の影響下に生産力が発展し、生産力の発展が漸次高度化されるにつれて自然淘汰は、社会的分業の発展にもとづいた新しい社会的諸関係に完全に自己転化をとげたのである。これが自然淘汰の法則と経済的法則との弁証法的関係である。」(221p)
 自然的関係は自然淘汰によって発展し、社会的関係は経済的法則に従って発展するものとして理解されている。すなわち、自然的関係と社会的関係は、「社会的なものによって自然的なものが止揚される関係」(221p)という自然からの社会への発展という歴史的継起にあるものとして捉まれている。そして、そこに成立する社会的関係とは、「目的意識的であるかぎりで経済構成であった。したがって社会的なものである」(220p)という目的意識的関係とされている。梯は「社会的」ということをいくつかの観点から論じるが、その根本に置いているのはこの「目的意識的関係」ということである。それは、労働における目的意識性に意識の発生を捉え、しかる後に意識を媒介として「人間の社会」の成立としていることによる。(註5)

(註5)さらに梯は労働過程における社会的関係について考察を進め、誤りを重ねる。
 「人間の生産的労働は社会的に統制されたものとして、生産的環境のうちにさらに社会的環境をもつことになる。社会的環境とは生産的労働の所産たる生産手段、とくに労働手段の総体であって、労働対象の総体が自然的環境を構成する。かくて生産過程において人間が社会を媒介にして労働対象に働きかけることである。そのかぎりで、生産過程の動的双関関係において直接に自己変化をとげるのは諸器官の組織としての人間体制ではなくて、労働手段の組織としての経済構成である。」(梯・223p)とする。
 ここでは、「生産的労働の所産たる生産手段」であるが故に生産手段を社会的としているのだが、生産手段は労働手段と労働対象を含む。そうであれば、社会的環境、とされるのは、労働手段と労働対象の両者なのであって、社会的環境を労働手段の総体として、労働対象の総体が自然的環境を構成するとするのは根拠がないと言わねばならない。
 『資本論』の「労働過程」論は、商品に対象化された労働の二重性の分析を受けて、具体的有用労働の過程をまず抽象的契機において考察しているものであって、生産手段は社会的に規定されているとしても、社会的関係そのものではない(後述、『賃労働と資本』の引用箇所も参照)。
 「そして、この人類の体制的自己変化こそは、社会的生産過程における自然的なものであって、この自己変化の漸次的逓減が、その社会的なものによる止揚過程をものがたっている。ここに社会的なるものとは、生産物の総体の増大として、財産のコミュニズムによって統制されたものであることはあきらかである。」(梯・224p)
 かくして社会的生産における社会的なものは、自然的なものの社会的なものによる止揚過程として、直接的に、生産物の総体のコミュニズムによる意識的統制をまで導くものとされる。
 そして第三に社会的関係を端的に協働関係として捉えることができないのは、現実的諸個人から出発するのではなくて、「物質の自己運動」あるいは「主客合一による対象的自己運動における歴史的全体性の見地」となっていて、したがって社会的関係は、労働による目的意識性と脳髄の発達、そして目的意識的関係に等値して捉えてしまうからであった。
 たとえばエンゲルスも脳の発達を論じないわけではない。
 「労働が真先で、その後から、今度は労働と共に、言語、――これが二つの最も本質的な衝撃力であった、この衝撃力のもとに或る種のサルの脳が、あらゆる点で似てはいるがこれよりもずっと大きい、そしてずっと完全な、ヒトの脳へと段々に移行していったのである。」(「猿の人間になるにあたっての労働の役割」『自然の弁証法』上 245p〜246p)(註6)
 労働、さらに他人との交通としての言語、この二つの本質的な衝撃力のもとで始めて脳の移行・発達が論いられているのである。
 梯はこの関係を転倒する。
意識は言語とともに始まる。意識もまた他人の存在を抜きにしてはありえないのだが、それは言語において誤解の余地なく明瞭である。ともに語るべき他人の存在を抜きにして言語について語ることは不可能である。(註7)

(註6)したがって、エンゲルスは器官を問題にする場合も、単に脳髄ではなくて、「手と言語器官と脳との協同作用」(250p)とするのだが、それだけではない。
 「そして人間の社会を支配しているように思われたところのこれらすべての形成物(芸術と学問、国民と国家、法律と政治、そして宗教――引用者)を前にして、労働する手のもっと地味な諸産物は背景に下がってしまったのである。しかもこれは労働を計画する頭脳が既に社会の甚だ早期の発展段階にあって(例えば単純な家族において既に)計画された労働を自分のではなくて他人の手によって遂行させることができたにつれてますますそうなった。迅速に進んでいる文明についての一切の功績が頭脳に、脳の発達と活動とに、帰せられた。人類は自己の行為を自己の諸々の欲求(この場合たしかにこれらの欲求は頭脳の中に反映し、意識に到来する)から説明する代わりに自己の思考から説明することに慣れてしまった。」(250p〜251p)
 と、分業の進行とともに、頭脳からの説明という転倒が進行したことまで、指摘していたのである。
(註7)「言語は意識とおなじようにふるい――言語は実践的な意識、他の人間にとっても存在し、したがってまた私自身にとってもはじめて存在する現実的な意識である。そして言語は意識とおなじように他の人間との交通の欲望、その必要からはじめて発生する。」(『ドイツ・イデオロギー』)
 Bこれは、梯をそのまま引き継いでいく黒田寛一の「社会観」の秘密でもある。
 「労働を基礎としてはじめて、人間の独自性ないし優越性をなす意識性がかたちづくられるのです。」「人間労働とその意識性が社会の本質的な性格である」(黒田寛一『社会観の探求』39p)
 「自己運動する物質が自己の他者として、労働する人間的自然を生産し、この『自然の人間的本質』の脳髄において意識や思惟がうみだされたとき(それは自然と人間の交互作用すなわち労働の産物です)、このときはじめて、物質はみずからの普遍性を無限に展開し発展させうる可能性をかくとくする」とし、「意識や思惟」を端的に「自然と人間の交互作用すなわち労働」(52p)の産物と述べて、この労働の社会的関係を捨象したまま意識の発生を説いている。
 といっても、『社会観の探求』の黒田が先のマルクスの規定を知らないわけではない。何度も引用する(例えば42p、109p等)。
 さらに、「生産一般あるいは技術的実践は社会的生産の自然的側面にすぎませんから、前者から社会的生産へは直接には論理的には上向できません。いいかえれば、技術的関係と生産諸関係は社会的生産の二契機ですから、出発点はあくまでも社会的生産なのです。」としながら、しかし「他面からすれば」として、「人間生活の物質的生産の普遍規定が生産一般であり、その特殊規定が社会的生産であり、その個別規定が社会的生産の歴史的に規定された諸形態(資本制生産等の――引用者)である」(66p)とされている。
 そして「生産一般(=社会的生産の自然的側面――引用者)・技術的実践を対象とするのが、技術論であり、社会的生産とそれが歴史的に発展する全構造、すなわち社会史的過程の一般法則をあきらかにするのが、史的唯物論です。(右にしめした生産的実践と社会的生産との論理的関係からして、技術論から史的唯物論への直接的な上向はなしえないことは、明らかでしょう。けれども「史的唯物論の基礎としての技術論」ということは、「生活手段の生産が一切の歴史の根本条件」であるといういみで正しいのです。)(66p)
 「いいかえれば、労働をとおして、どのように意識が形成され、そして目的意識的な労働となったか、というような発生史的な説明は、技術論にとっては従属的なものですが、しかしまた技術論はそれを根本前提とするのです。意識をすでに発生したものと前提し、意識や認識をみずからの契機とするとともに、またそれに規定される人間労働の人間労働としての独自性を分析対象とする……のが技術論の直接の課題です。」(96p)
 こうして社会的生産の「一個二重の関係」を「技術論」と「史的唯物論」の課題として分離し、そして「史的唯物論」においてではなくて、自然的関係の考察とされた「技術論」の目的意識性からのみ意識が論じられてしまう。
 この誤りには、梯と同様の、根深い根拠がある。すなわち、「物質の自己運動過程としての自然史的過程の最高発展段階である社会史的過程は人間生活の物質的生産過程なのです。」(51p)や「「特殊化された普遍」として意義をもつ社会」(55p)というような、物質の自己運動から主体性を導き出すという問題意識において、社会の成立を物質の自己運動における自然と人間の分割と捉える論理である。
 こうして捉まえられた自然に対立する人間は、現実的諸個人ではなくて、単なる人間主体一般となって社会性を欠落させてしまう。
 「物質の自己運動」とは、「自然にも歴史があるのであって」という以上のことではない。仰々しく「物質の自己運動」と「意義を持」たせようとすればするほど史的唯物論から遠ざかってしまう。

(2)組織論の問題
 こうしたことは無論、武谷三男にも共通した問題である。社会的実践について触れている有名な箇所を見てみよう。
 「また生産技術を人間の他の社会的な実践、特に階級的な実践と論理的に全く何の類似もないことだとするのも間違っているのであって、ともに人間の実践である点においてそれらは法則性に根拠を置く限り有効なる実践であることにおいて変りはないのであって、一方は人間の人間に対する関係であり、一方は人間の自然に対する関係なのである.むしろこの両者において同一の論理構成を見出すことこそ弁証法的な態度というべきであり、人類社会を自然史の最高の一環として認めることにこそ弁証法的唯物論があるのである。」(「自然の論理について」『武谷三男著作集1』260頁)
 人間の自然に対する関係を生産技術とし、人間の人間にたいする関係を社会的実践として、それ自体はなんの問題もないかのように見える。しかし、「ともに人間の実践である点においてそれらは法則性に根拠を置く限り有効なる実践であることにおいて変りはない」として「この両者において同一の論理構成を見出すことこそ弁証法的な態度」としていきなり言ってしまう限りで、疑問とせざるを得ない。
 武谷を受け継ぐとした黒田が、先に見たように技術的関係を「生産一般の自然的側面」と理解しているように、ここで武谷は自然的関係と社会的関係の区別ができているようには見えない。
 マルクスが、生産について「そのまますぐに二重の関係として――一方では自然的な、他方では社会的な関係として」(前出)と言っているのは、自然的関係が対象的関係であるのに対して、その自然的関係を取り結ぶ人間相互の協働関係を社会的関係としているのであって、従ってその両者は一個二重であるということである。即ち、人間と自然との生産関係には、人間の自然に対する対象的関係と人間の人間に対する協働的関係が含まれているのである。同様に、人間と人間との関係にも対象的関係と同時に一個二重に協働的関係が含まれているのである。例えば、「第三者にたいするかれらの共同利害によって制約されていたところの共同関係」(『ドイツ・イデオロギー』)というように。
 この対象的関係と協働的関係の一個二重の関係ということを踏まえた上で、対象的関係と協働的関係とにではなくて、その双方の側面を含んだ生産的実践と社会的実践の「両者において同一の論理構成を見出すことこそ弁証法的な態度」とならば言ってもいいであろうが、武谷の主張がそうであるようには思えない。ここで引用した文章に引続いて武谷がスターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』を現代哲学の最高の著として引用するのは偶然のことではないだろう。
 武谷技術論の適用として展開される黒田=革マル組織論はその出発点においてスターリン主義組織論と同根なのである。それは武谷技術論自身の限界であったのだが、その武谷技術論を組織論に援用するということで、その最悪の帰結を『組織論序説』としてみることができる。
 たとえば黒田は「大衆の組織化と組織の組織化の一個二重の関係」「組織と実践の弁証法」として、「一個二重の関係」を言葉だけでは繰り返す。しかし、この時、大衆の組織化とはいかなる「関係」であるのか、即ちいかなる対象的関係を共同にもった協働的関係であるのかがすっぽり抜け落ちて、たんに大衆と前衛党との対象的関係になってしまっている。それを受けて、組織の組織化も、協働的関係の組織化ではなくて組織内の対象的関係としてイデオロギー的ヒエラルヒーの組織化になるほかない。
 人間の本質を「脳髄」に切り詰めてしまう把握は、黒田においては人間の有機的身体は「自らの肉体をも手段として」と、脳髄の活動として打ちたてられた目的の手段とされるまでにいたる。自らの有機的自然をその直接性において承認しない「主体性」論は自己活動の外観をとりながら、外在する「脳髄」の司令にひれ伏す「組織論」へと帰結しさえもする。
 そして固定化され強化された自然的関係と社会的関係の分離は、組織論における目的と組織性の分離として「陰謀組織」の組織論に帰結する。「陰謀組織」とは、本質的に「二重組織」――目的の二重性――であって、「秘密組織」――公然と最終目的を掲げる――とは、全く性格を異にしている。

 解放派はこう問題にする。
 「他人による自分への制約に対抗して逆に他人を制約し屈服せしめようとするかぎりでは、それが必要であるにしてもそれにとどまる限りでは、他人に対する単なる自然的態度、又は、自分のエゴイズムの単なる拡大、結局のところ特殊的個人としての自分のもとへの全大衆(すべての諸個人)の隷属を強要しているにすぎず、他人に対する人の関係ではあるが、人に対する人の自然的関係――しかもこの場合私的な――であって、人に対する人の社会的関係ないし“協力”ではない。」
 「自分を制約する対象への対象的な働きかけと、その結果を通じてその個人は発達するのだが、しかし、その活動が、他人との共同作業でない限り不可能な活動である限り、彼は、他人とその対象を共同の対象として確認していくために、その対象の表象が自分と他人とで異っているのでは活動が不可能であって、その対象を共同の認識にもたらし、かつ、活動推進的な機能ないし、活動へと駆りたてる欲望が、単に、私的な欲望ではなくて、共同の目的であることを確認しあうという必要にせまられる。単に、自分だけでは不可能なこと、他人との共同作業によってのみ可能なことを課題とすればするほど、個人はこの共同において、この共同においてのみ発達する。」
 「団結は共同の敵に対する諸個人の協力である。労働者の団結は資本に対抗する労働者相互の協力である。一方では資本に対する関係、他方では、労働者自身の共同関係。労働者の資本に対する闘争(運動)と労働者諸個人の団結(組織)。組織性と活動性。組織と闘争。団結と革命。プロレタリアの団結(「万国のプロレタリア団結せよ」)とプロレタリア運動(「圧倒的多数者のための圧倒的多数者の独立した運動」)。団結は闘争の結果であると同時に前提である。闘争の過程と結果を通じて諸個人が変化し発達する。その変化した諸個人が変化した敵(または真の姿を示していく敵)に対抗するために――その闘いの不十分さや誤りをも反省しつつ――団結を新たに生み直し、変化する。諸個人が特定の団結をはじめは必要不可欠な条件として、闘いの推進形態として、“紐帯”としてこの団結に規定されて闘うとすれば、あとでは、この変化し、発達した諸個人の闘争にとって“桎梏”とみなされ、その団結を変革して新たな団結として再生産(拡大再生産)する必要にせまられる。だから諸個人が特定の団結に規定されてのみ闘うとすれば、また他方、その団結も諸個人とその闘争に規定されて変革されなければならない。組織としていえば、組織はそれを構成する諸個人を規定し秩序づけると共に、他方、その組織自身が諸個人によって規定され、変革できうるものでなけれぼならない。それは、あるいは激烈な、またゆるやかな、あるいは混迷をともなった、または明確な過程となるとはいえ、団結―闘争―団結は、団結―諸個人の変化―団結であり、組織としては、“上から下へ”とともに“下から上へ”ということが本質的にふくまれる。組織が組織である限りこの両方の過程をもっているのであり、単に「もつべきだ」ではない。」
 「“我”が“汝”に対象的に働きかけ、それにおいて“汝”が“我”を対象として働きかけるとしても、その“汝”は“我の普遍性”として現われるにすぎず、“汝”はどこまでも“我”によって包摂され、“我”が“汝”を「代表」するものになるだけであり、どこまでも“汝”は“我”との協力者ではなく、“我”によって「代表」されるほかはなく、“我”と“汝”がどんなに同一性を明らかにするにしても同時にどこまでも異った存在であることが、この現実的な区別が消えないものである以上、はやい話が、“我”がどんなに本気で“汝”を代表しても、“我”の中に現実の生きた“汝”が入り切れない以上そんなことができたら化物だということはいうまでもない――“汝”も“我”と同じことを追求するとすれば、それこそ自分を“唯一者”に高めようとする無限の葛藤であるほかはなく、相互の協力ところか相互に屈服せしめんとするキタナラシイ戦闘でしかない。要するに“我”と“汝”は他のものに対してこそ協力しなければならないこと、現実の“我”と“汝”は“我”と“汝”との両方によってしか真実に「代表」されることはなく、そうしたことこそが「共同関係」であり「協力」であるのだということこれである。」
 「資本(その人格化としての資本家)に対してこそ労働者は団結し、資本との闘争のためにこそ労働者は相互に協力する。そしてこの協力のためにこそ宗派的分断は粉砕されていく。他のものに対してこそ人間は相互に協力できるということは、労働者にとっては、その“他のもの”とは資本であり、徹底的にそうである。この労働者にとっての“共同の敵”による労働者の苦悩(制約されているものの)とそれ故の激情(被制約者が逆に制約者になろうとする)は、この資本を“共同”の対象として確認して“共同”で立ち向うためにこそ、この資本を“認識”しようとし、また認識でき、かつ自分たちの衝動、欲望、要求をつきあわせて、共同の欲望、共同の要求として確認し、かくしてこの共同の要求、共同の目的のもとに団結して戦い、この闘争とその結果を通して、敵の正体の一層はっきりとした認識、自分たちの誤りや不充分さの点検、自分たちの目的の一層の明確化が新たな団結へと導く。大衆は単に働きかけるべき対象ではなく(それによって自分自身が対象的に働きかげられるにしても)共同作業の相手であり、そういうものとして、共同の利害のため、労働者が共同して闘うために、である。こういうものとしてのみ労働者に対する組織ではなくて、労働者自身の組織が発展する。」
(「行動委員会の中からの党」『滝口弘人著作集A』153p〜157p)

(三)相互前提的・相互規定的関係

(1)労働の前提であり結果でもある社会
 いま、団結―闘争―団結として捉えた問題は、労働と社会の関係でいえば、社会―労働―社会ということが重要である。(あるいはまた、さまざまに解釈されてきた「生産力と生産関係」についても同様である。生産力が生産関係に規定されていることの欠落が「生産力主義」の根本的問題である。)
 措定された関係でいえば、労働―社会であるが、その労働はまた社会を前提にしているのである。即ち、「社会を前提とし社会を措定する労働」「労働の前提でもあり結果でもある社会」ということである。
 滝口弘人が、こうした把握について何度も振りかえって提起している。二箇所から引用しておこう。
 「したがって、この問題は、労働または生産と社会の問題で言えば、『経哲草稿』の言う「労働の前提であり、かつ、結果でもある社会」ということになる。これは、社会的労働についてみる場合に大切な点だろうと考える。社会を前提にしている労働、労働する諸個人とその背後に社会があって、また同時に労働の結果として生みだされていく社会というものとして、相互前提的、相互規定的ということをつかみとることができる。
 『経済学批判序説』はその冒頭のところで、「社会の内部で生産する諸個人、諸個人の社会的に規定された生産、これがいうまでもなくわれわれの出発点である」と。つまり、生産する諸個人ないし諸個人の生産と、その背後に立ってそれを規定している社会ということで、一定の社会を前提にしそれに規定されての諸個人の生産あるいは労働、または対象に向かっての根底的活動があるのである。またそのことを通して、その一定の方式で生産する諸個人は、それにふさわしい社会的政治的諸関係を取り結ぶのである。すなわち生産諸力の発達、生産する諸個人の発達は、その前提としていた交通諸形態を桎梏として感受し、自己にふさわしいそれに作り変えて行くのである。展開は、こういうこととしてなされる。」
(「革命の同時性と階級形成論」『滝口弘人著作集A492p〜493pp』)
 「社会的生産による自然と人間そのものの再生産、それによる社会的生産そのものの再生産。人間と自然とによって定立された社会、社会による人間と自然の定立。社会を前提とし、社会によって規定された生産、その生産の諸結果がまた原因となっての社会の生産。
 社会―生産―社会。生産の前提としての社会、生産の結果としての社会。社会は、即自的にはすでに生産であり、生産を前提にし、生産によって媒介されている。しかし、生産が定立されるためには、まず社会が定立されなければならない。定立の順序は、社会―生産である。他方、生産は、即自的にはすでに社会を前提とし社会によって媒介されているが、社会が定立されるためには、まず生産が定立されなければならない。その場合、生産の結果によって社会が定立される。生産(結果)―社会。」
(「階級闘争、革命的プロレタリア党――階級形成について」『滝口弘人著作集B』50p)

 『経済学・哲学草稿』に即して見てみよう。
 「私有財産は、それが外化された労働の根拠、原因と現れるとしても、むしろ外化された労働の一帰結にほかならなことが明らかになる。のちになってこの関係は相互作用へと変化するのである。」(「疎外された労働」102p)
 「外化された労働」「疎外された労働」とは、この自己疎外を他人との関係を通して、実践的な現実的に表現するならば、社会に規定された労働ということができる。
 「労働の素材も主体としての人間も、運動の結果であると同時にその出発点でもある(そして、それがこの出発点でなければならないということ、まさにこのことのうちに私有財産の歴史的必然性が存する)。したがって、社会的性格が全運動の普遍的性格なのである。社会そのものが人間としての人間を生産するように、社会は人間によって生産されている。」(「私有財産と共産主義」133p)。
 ここの「そして、それがこの出発点でなければならないということ、まさにこのことのうちに私有財産の歴史的必然性が存する」とは、どういうことか? ここでいう「それ」とは「労働の素材と主体としての人間」のことであるが、肝腎な点は「運動の結果である」「労働の素材と主体としての人間」ということである。
 だからこそそこに「私有財産の歴史的必然性」をいわば「無限の進行のなかで感覚的に見てとれる循環運動」(「私有財産と共産主義」146p)として把むことができるとしているのである。(註8)

(註8) こうしたマルクスの論理は、『資本論』にまで貫かれているのであって、たとえば、「資本の蓄積過程」の論理がそうである。
 「つまり、労働生産物と労働そのものとの分離、客体的な労働条件と主体的な労働力との分離が、資本主義的生産過程の事実的に与えられた基礎であり出発点だったのである。
 ところが、はじめはただ出発点でしかなかったものが、過程の単なる連続、単純生産によって、資本主義的生産の特有な結果として絶えず繰り返し生産されて永久化されるのである。一方では生産過程は絶えず素材的富を資本に転化させ、資本家のための価値増殖手段と享楽手段とに転化させる。他方ではこの過程から絶えず労働者が、そこにはいったときと同じ姿で――富の人的源泉ではあるがこの富を自分のために実現するあらゆる手段を失っている姿で――出てくる。彼がこの過程にはいる前に、彼自身の労働は彼自身から疎外され、資本家のものとされ、資本に合体されているのだから、その労働はこの過程のなかで絶えず他人の生産物に対象化されるのである。生産過程は同時に資本家が労働力を消費する過程でもあるのだから、労働者の生産物は、絶えず商品に転化するだけではなく、資本に、すなわち価値を創造する力を搾取する価値に、人身を買う生活手段に、生産者を使用する生産手段に、転化するのである。それだから、労働者自身は絶えず客体的な富を、資本として、すなわち彼にとって外的な、彼を支配し搾取する力として、生産するのであり、そして資本家もまた絶えず労働力を、主体的な、それ自身を対象化し実現する手段から切り離された、抽象的な、労働者の単なる肉体のうちに存在する富の源泉として、生産するのであり、簡単に言えば労働者を賃金労働者として、生産するのである。このような、労働者の不断の再生産または永久化が、資本主義的生産の不可欠の条件なのである。」
(『資本論』「資本の蓄積過程 単純再生産」)
 さらに、「社会を前提とし社会を措定する労働」について、先に引用した『賃労働と資本』の箇所では、それに引き続いて、より平易に述べられている。
 「彼らは、一定の仕方で共同して活動し、その活動をたがいに交換することによってのみ、生産するのである。生産するために、彼らはたがいに一定の連絡や関係をむすぶが、これらの社会的連絡や関係の内部でのみ、自然にたいするはたらきかけがおこなわれ、生産がおこなわれるのである。
 もちろん、生産者がたがいにむすぶこれらの社会関係、彼らがその活動を交換し、生産行為の総体に参加する諸条件は、生産手段の性格がどうであるかに応じて、ちがったものになるであろう。……
 だから、個々人がそのうちで生産する社会関係、すなわち社会的生産関係は、物質的生産手段、生産力が変化し発展するにつれて、変化し変動する。」(『賃労働と資本』三)
 と。

(2)プロレタリアートの社会性
 「プロレタリアートの衝撃」について、滝口はこう述べている。
 「労働者の闘争が「理論家」に衝撃を与えるというだけでは十分でない。そこに闘う労働者がまさに結合する歴史的な現実的諸主体として立っている姿の衝撃が「理論家」を革命的に方向転換せしめるのである。「理論家」にとってこれを見てとるか見のがすかが決定的な分岐点である。」
として、
 「マルクスは、……(一八四三年)一〇月末に「革命の心臓」パリに入り、その真只中でその年の暮から翌年初めに書かれた『ヘーゲル法哲学批判序説』では、この「現実的諸主体」を〈プロレタリアート〉として鮮明にし、すなわち、このプロレタリアートをまさに〈「市民社会に属しつつ属さない」〉ところの自己自身に対してある存在としてつかみ、「人間の全き喪失であるが故にただ人間の全き取り戻しによってのみ自己自身を獲得しうる」このプロレタリアートをドイツ解放の「革命の主体」として見てとり、「ドイツ解放の日はガリアの鶏鳴によって告げ知らされるであろう」と結んでいる。フランスの労働者のうちに、いかにこの「革命の主体」の姿をマルクスが見てとらしめられたかは、すぐひき続く研究と叙述の『経済学・哲学草稿』に次のように書きしるされている。「共産主義的な労働者が団結するばあい、さしあたりの目標は説教や宣伝やその他である。けれどもそれと同時に、かれらはそれらをとおしてあるあたらしい欲求を、社会的結合の欲求を自己のものにする。手段として現象する当のものが目的になったのである。フランスの社会主義的労働者が団結しているのを見るとき、われわれはこの実践運動のもっとも光輝ある成果をまのあたりに見ることができる。……人間性のけだかさが労働によって硬化したかれらの容姿から光となってさしいでて、われわれを照らすのである。」そしてシュレーゼンの職工のストライキ(一八四四年六月)がマルクスのまのあたりに見せしめた……」。
(「革命的プロレタリア党建設の歴史的教訓」『滝口弘人著作集B』79p)
 さらにまた滝口は80年の「日本における階級闘争史の教訓」(著作集未収録・補巻収録予定)という講演で、『資本論』をもし一つの言葉で要約しろというならば、それは「いわゆる本源的蓄積」の最後のところの「革命の必然性」にふれて出てくる「資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級」(註9)という言葉だ、と言っている。
 「八〇年代現代社」発行の『解放』11号所載の鷹野明名義「滝口批判論文」ではこれを、「このマルクスから“叛逆が増大する”という結論を削りおとす。当然にも“資本主義的生産過程の機構によって訓練され、結合され、組織される”ということは、“反逆の増大”という結論にかえしてその意味をとらえかえすべきところだが、ペテン的引用でもってこれをおとしてしまえばどうなるのか。」(137p)と批判している。
 「叛逆」を強調すれば左翼的とでも勘違いしたのであろうか、しかし、ここで決定的に解放派の思想性から滑り落ちている。「反逆」が資本と対象的関係にある賃労働の、すなわちプロレタリアートの社会性の必然的展開であるということ、すなわちプロレタリアートの階級性に基礎づけて「革命の必然性」を把むということこそが解放派の核心なのだ。
 中原もまた「プロレタリアの階級形成(闘いの有無にかかわらず歴史の現段階に存在している)の衝撃」(『中原一著作集@』26p)と書いている。何故、「闘いの有無にかかわらず」と特記したのか。それはこのプロレタリアの社会性の強調のためでなくてなんであろう。
 とにかくなにかケチをつけねばということであらさがしを無理にしてみた結果なのではあろうが、しかしまたそこには、見事に彼らの「目的主義」の誤りが露わになっているとみるべきだろう。
 プロレタリアの社会性=階級性を欠落させて、組織を目的主義的に捉えてしまうかぎり、もう一度、小ブル的主体性論の陥穽に逆戻りしてしまうのだ。確かに目的=綱領は大事なのだが、その綱領自身が階級性によって生み出されたのだということを忘れてはならない。
 梅本主体性論の提起、「人は何故、直接みることのできぬ未来のために――不滅の大目的のために――死ぬことが出来るのか」に対して、「そこに立てられている大目的とは現実のプロレタリアートの共通利害なのだ」と我々が回答してきた意味はそこにある。
 「個々のプロレタリアートが、またはプロレタリアート全体さえもが、いまのところ何を目標とかんがえているかが問題なのではない。問題なのは、プロレタリアートが何であるか、その存在におうじて歴史上何をなすように運命づけられているか、ということである。」(『聖家族』第四章第四節)

(註9)「この転化過程のいっさいの利益を横領し独占する大資本家の数が絶えず減ってゆくのにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取はますます増大してゆくが、しかしまた、絶えず膨張しながら資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大してゆく。資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(マルクス『資本論』「いわゆる本源的蓄積」)

(四)階級形成論

 最後に、プロレタリアート存在論と階級形成について、70年代後期に提起された「革命的プロレタリア党建設の歴史的教訓」の一部を再構成しつつ大略引用して、まとめとしよう。

 人間はそれ自身の自然的対象を自らの非有機的身体としてもたなければならない人間的自然であり、またそれ自身が対象的自然存在として、他のものの対象となる存在である。それ故に他のものによって現実に制限されている苦しみを受けている存在、すなわち受苦的存在であり、しかし同時に、またそれ故にこそ、対象を自分にふさわしいものとして獲得し変革せんとする情熱的存在である。
 だが人間は単に対象的自然存在であるのみではなく、自己自身に対してある存在(fur sich sein)即ち活動する主体であり、社会的生産を行う類的存在であり、すなわち人間的自然存在である。その社会的生産ゆえに人間は意識をもった存在であり、思想すなわち思想という形態をとった意識は、人間が現実の衝突を意識して闘いぬく形態である。
 そして、労働者は、自らの労働によって生産物を対象として産出すること(対象化)が、自らに疎遠なものとなった対象による支配として現れる(疎外)という「疎外された労働」の下で、死んだ労働による生きた労働の支配が生じている。人間としての労働者が単なる労働の担い手におとしめられ、たんなる所有者となっている資本家に、支配され働かされている。人間的存在である労働者〔主体=主語〕の一つの活動〔述語である労働〕が労働者から独立化して〔自立的な実体として〕、逆に労働者は自分の労働の奴隷たらしめられる〔労働者が実体化した労働の単なる現象形態とならしめられる〕。
 労働と資本の矛盾とは単なる対立ではなくて「矛盾、すなわち内面的な関係との活動的な関連においてとらえられた対立」であり、言い換えれば労働者は自分自身への関係が同時に他者への関係になっている存在である。分割された労働(分業)の社会的な力は、資本の社会的な力として現われる。この社会的な力を取り戻すためには、資本に対抗した労働者の団結が発達させられなければならない。
 この分業(私的所有)のもとで、労働者から自立化した社会的諸関係=ブルジョア社会が発達し、この自然成長的分業社会においては特殊利害と共同利害が分裂しており、共同利害はブルジョア社会の公的総括としての国家という独立の姿をとる。ブルジョア社会のいかなる階級でもないようなブルジョア社会の一階級(ブルジョア社会に属しかつ属さない)、社会の利益をうけることなしに社会のあらゆる重荷を負わなければならない階級という現実の矛盾に置かれている労働者は、この国家に非和解的に対立しており、それ故に奴隷化された労働の解放として、また階級そのものの廃棄としてこの矛盾が解決されるほかはない。
 現実の人間、その現実の衝突の解明、労働する実体とされている現実において衝突する人間としての労働者は、すでにその本源からして自己自身に対してある存在=人間的自然存在であり、その苦悩は人間としての苦悩なのであって、本源的に意識をもった存在、類的存在として現実の衝突を闘いぬくのだ。

 意識をもった人間は現実の衝突に発しながらその現実の対象と生ける人間との対立において、その意識形態をかたちづくる。人間がその対象をそれと対立する自分自身の根底から発する欲求によって変革せんとする目的意識は実践的意識であるが、そのなかにふくまれている契機、つまり対象についての意識(対象的意識)――すなわち、自己に対立する対象、および自分自身を対象としてそれをつかむ、認識する――これをそれ自身としてとりだしていえばそれは既に理論的意識である。
 労働者が、その雇用主との対立において闘争している限りでは、自分の対立する対象は雇用主、会社であり、そこにおける資本の専制的支配である。自分自身をそれに対立する対象として意識する限りでは、その意識の形態は、この範囲内のものとしてかたちづくられる。しかしその実践的意識の内容は、労働者の全ブルジョア社会との衝突の根底から発するものであればある程、その形態を越えでるものをはらむのである。
 だが、敵をその雇用主、工場にしか見出せない限り、その闘争激化は、その内容を熱情的感情として突き出されるにとどまる。しかし、このような経済闘争においても、労働者は理論を必要としないどころか、考え、その闘争に必要な多くの理論を学ばんとするのである。
 個々の闘争、とりわけ、資本の支配の根底から自然生的に発生する闘いは、いままで見なかった敵をまさに密集した敵として、自分たちにたち向う巨大な対象を生み出し、自分たちに敵対せしめざるを得ない。支配階級はまさに一つの階級として組織的に立ちあらわれ、諸階級は種々の政治的形態をとって労働者の前に現れる。ここに階級形成論としてつかまれるべき階級闘争が階級闘争として発展する自らの構造があるのだ。
 国家は、まさに支配階級にとっての組織であることが、その組織された姿であらわれる。幻想的共同体ということが、まさに現実的な対象的敵対において示されるのである。
 国家は、支配階級に属する個々人にとっては、現実に発展の条件であるが、被支配階級にとっては、まさに一つの幻想的共同社会性であって、それは一つの桎梏を意味する、と。そしてまさに、国家が密集した敵として敵対して立ち向ってくるからこそ、労働者はこの国家との対立において、階級として行動しこの国家を桎梏として打倒しなければならない実践的必然性がある。
 この闘争において、この現実的対立においてまさに労働者の階級的政治意識が成立する。そしてこの政治闘争が奴隷化した労働を廃絶しなければならないという経済的解放を究極の大目的として打ちたてるのは、この政治闘争が工場における労働者の真剣な経済闘争の成長したものであればあるほど、その工場での闘争がすでに最初に問題とした資本の専制支配をそれだけますます根底的に見つめ、それを廃絶すべきものとして意識させてゆくからである。資本の専制支配への従属が、首切りの不安すなわち自らが生産手段をもたない単なる働き手にすぎぬものであることからであり、従って生産手段を自分たちでにぎりしめなければならないものとして。
 だからここで成立する労働者の階級的政治意識は、単に政府にあれこれの政治的要求をつきつけるだけとか、また自分たちで政府をつくってもあれこれの社会の改良しかやろうとしないとかの、社会民主主義的意識ではなく、この階級的政治意識の形態で、その内容は社会の転覆をはらみ、さらに単なる政治的意識をこえた共産主義的意識をもかたちづくりさえするのである!
 だから、共産主義的意識は、労働者において本源的に発生しそして労働者の実践において証明されつつ発達し、この闘う労働者の革命的実践において現実に働いている意識としてはじめて自己自身に確信をもっている意識である。共産主義的意識ははじめから、またどこまでも、実践的意識であるが、それは理論的対象的認識が発達すればするほどますます明確な形態でかたちづくられる。注意すべきは、この意識が理論家を担い手として、単なる理論的姿態をとっているのは、この運動の発達を示すのではなくその未発達を示し、この運動の発達とともにそれは単なる理論的姿態をとることをやめるのだということである。
(「革命的プロレタリア党建設の歴史的教訓」『滝口弘人著作集B』63〜65p参照)