隠された内乱としての三池闘争

                   斎藤 明

 

 

 はじめに

前論文(第3号 革命期の社会的過程)において、戦後第二の革命期の社会的過程を反省的に総括する必要があるという課題を掘り下げるために、戦後第一の革命期の社会的過程を労働者の二重権力との関係で、とりわけ生産管理闘争を中心に概括した。戦後第二の革命期の社会的過程をとらえるにあたって、この第一から第二への過渡の時期が、如何なるものとして先の戦後第二の革命期における社会的前提を作り上げていたのかということを追求しなければならない。なぜなら、あまりにも資本の下への労働の包摂がきびしかったからである。いわば、それまでの五十年代後半から六十年代にかけての資本の下への専制支配をめぐる権力関係の到達した結果を前提として革命期をむかえたのであるから、その内容をあらためて明確にする必要がある。

 それは、とりわけ、戦後労働運動の分水嶺となった三井三池闘争の質を真に掴むことに焦点が合わされると考える。この三池において何が敗北し、何を失ったのか。敵は何を死守しようとしたのか、そしてそれはそれ以降の階級関係になにをもたらしたのか。ここからの射程においてはじめて戦後第二の革命期の社会的過程が明らかとなる。繰り返すが、我々は安保と三池の闘争の中から生まれてきた、と語ってきた。階級闘争それ自体が産み出した党派である。その責任において、階級闘争のなかから、われわれ、および戦う労働者の生きた反省をわがものとする作業を推し進めねばならないと考えている。階級闘争の外側から、恣意的な総括をおこなっている多種多様な宗派運動は、またぞろ「新しい改良計画」を模索しているだけで、現実の闘いについての真実の反省がない。
 三池闘争は紛れも無い内乱であった。それは賃金労働が奴隷労働として資本の指揮監督のもとにおこなわれることに抗して、団結した闘いによって生産管理にぎりぎり接近した職場闘争を展開した。自らの労働を自らの共同で支配する、という性格の闘争である。この隠れた内乱は、これまで隠された内乱として扱われてきた。なぜなら、労働者の自然発生的に生み出す高い意識性と創意と自主性は、あれこれの指導部の「平和革命路線」にとっては極めて不都合なものとして発達していたからだ。闘争そのものが突き出す階級性、革命性は労働者革命が労働者自身の事業である、という原則を再確認させる。この隠された内乱としての三池闘争を再検証したい。

 

第一の前哨戦としての「英雄なき百十三日の闘争」

 

@ 朝鮮戦争の休戦をもって、戦後第一の革命期は終焉する。その当時は、同時に日本ブルジョアジーが「経営権の確立」への更なる段階を画した攻勢を開始した時期であり、労働の側は総評を中心として再編成されながら、重化学工業中心の資本主義的発展のながれの中に入って行く。資本の攻勢は、それまでの作業体系の機械、技術の新導入による改変を中心とするスクラップアンドビルドとしてあらゆる職場に合理化攻勢として吹き荒れた。

 日本ブルジョアジーは、講和締結をメルクマールにこれまでの産業復興というスローガンから「国際経済に伍する国民経済」という旗印のもとに労使協力がなされるべきであるという基調に変換した。「日経連:基本的労働対策にかんする意見内容 (一九五三・六・四)」は、基調を次のようにすえた。

「講和による独立はわが国の真の経済的自立を要請したのであるが、独立1カ年を迎えた今日におけるわが国経済の現状は、臨時的外貨収入に依存し、物価の割高と輸出不振に悩み、経済の基盤は、依然改善のあとを示していない。朝鮮の休戦会談再開は、わが国に経済的自立策の急速な確立を要請する契機となったが、国内重要産業の窮状も亦、我々に荏苒日を空しく過ごすべからざることを示している。

 しかるに、……。我々はこれを一つ一つ片付けていかなければならないのであるが、労働対策の面から問題を取り上げるならば、集約して企業の合理化と労働の生産性の向上の二点となすことが出来る。以上の如く我々は労使関係の基調も亦国際経済に伍する国民経済という共通の基盤に立つことの厳たる事実を直視しなければならない。」

 政府は一九五三年八月五日、「電気事業および石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律案」いわゆる「スト規正法」を成立させた。直ちに、三井鉱山側から八月七日付けで三井鉱山企業合理化要綱が提起される。「たとえ三井が二流三流の会社になっても、この首切りはやりとげる。」と高言していたという決意で発せられた大量人員整理案を、三鉱連(全国三井炭鉱労働組合連合会)は百十三日のストライキによって粉砕する。この闘争は、「英雄なき百十三日の闘争」とよばれた。

 

Aこれに先立つ一九五二年の総評の秋闘として闘われた電産と炭労の二大争議は、政府・日経連・石炭連盟の一体となった対決姿勢の前に自らの側に孤立と内部分裂を生み出し、激烈に戦うが結果的には政府の「緊急調整発動」(一九五七年十二月十五日)の前に敗北する。ブルジョア階級にとっては、講和後の力関係を決定付けるための全力を集中した緒戦であった。しかし、この炭労の六一日間の長期ストライキは、炭婦協を生み出した。これは現場と家族、地域を貫く闘争体制作りとなって闘争を支えたのである。

 最後の闘争戦術として十二月十七日、十八日の四十八時間にわたって保安要員総引き揚げを決定した炭労の声明には次のように書かれている。

 「今や一銭の収入もなく六十日に及ばんとするストライキは終戦当時になめたより以上の困窮に組合員の生活を突き落としている。親子、兄弟離散して生活をはからんとするもの、空腹に耐えて慣れぬアルバイトに一家を支えんとするもの、積雪と寒風の中に着る物を一枚づつ売っても子供だけは飢えから救い或いは学校で淋しい思いをさせまいとする母親等全山一丸となって要求貫徹の日まで歯を食いしばって闘っているが正にその生活は言語に絶するものである。」

 この闘争において、他方でこれまでになく露骨なかたちでの「職防隊」「労務」の暴力的スト破り、第二組合の画策、強行出炭等の暴力的労務管理、闘争破壊が全国的に展開された。

 この闘争は、一九五三年の三鉱連の百十三日の闘争の、これまた前哨戦であったのである。

 

Bこの百十三日の闘いは、指名解雇をゼロとする勝利を勝ち取っている。しかし、三鉱連は「三鉱連企闘白書――英雄なき百十三日の闘い」(全国三井炭鉱労働組合編)になかで、「どういう自己批判をしたか」という文章の中で次のように述べている。

 「また、今次闘争においても、われわれは誇るに足りる勝利者ではない。いわゆる事業所や坑口の休廃止も大体会社の計画通りに行われたし、闘争終結後の『自由意志』に基づく退職者を含めて三千八百余名の人員整理もなされ、闘争過程では被通告者の六〇%が組合の統制を破って退職し去ったからである。」

 「いずれにしてもわれわれは『次のたたかい』に備えて厳粛な自己批判を各項別に行うが、その前に一応次のように掲げる。」としてその十番目に「実態に即した解決をはかるためとは言え、事業計画の協議を山元におとした。」としている。これは会社側と組合が委員を出し各山元で協議をするとしたことを指す。この闘争過程で労働省労政局長・中西実の「就労強行に対する見解」が石炭鉱業連盟専務理事・早川勝あてに出されている。

 「現在三鉱連傘下組合において行われつつある争議手段の中には、違法行為となる虞(おそれ)濃厚なものもあると考えられる点があるので、別紙の如くもし現実にそのような行為があれば違法の虞れある旨、三鉱連に対し口頭で警告いたしましたから御連絡します。」

  「(別紙)組合側は強固就労等の戦術をとっているようであるが

一. 全燈室の占拠、安全燈の組合員よる管理等の事は

     (1)使用者側の意に反する職場占拠は一般に違法であり、

      (2)業務管理に及んだ場合には、生産管理の違法なことは既に最高裁判決に示すところである

    従って、違法の疑い濃厚である。

  二.番割については会社の業務命令を排除して組合独自の番割を実施することも業務管理に該当する虞れが強い。

  三.保安関係については、保安要員の就労を拒んだり、保安管理者の定める保安要員以外の者に組合が恣に保安業務を行わせたり、保安管理者の指揮監督を排除し、又はこれを麻痺させる如き行為をすることは『安全保持の施設の正常な維持、運行に支障を与える行為』となり、更に『人命に対する危害、資源減失、重要施設荒廃』の結果をもたらす危険を有するものと考える。」

 この見解は、資本の側の指揮監督権の確保という資本の自己意識を端的に示している。そして、特に、二の割番に言及していることが注目に値する。これは生産阻害、または業務阻害という名目で会社側が系統的に攻撃をかけてくる重大事項である。すでに五十九年、六十年の三池闘争の火種はここにあり、ここからスタートしてゆくのである。

 この百十三日の闘争は、特に鉱員の「退職基準」をめぐり鋭く争われた。企業側の保安責任を棚上げにした「公傷常習者」規定や、「業務に対する協力性乏しきもの」として「素質乃至素行不良者」規定、「業務の正常な運営を阻害する者」規定を盛り込み、これによると二万人は該当すると放言する会社側との闘争であった。

 会社側にとってみると、「生産阻害者」とは「職場の過激分子」(日本経団連発行「資料 三池争議」)であり、この「過激分子」三百余名の職場復帰を許したことを重大な敗北として総括している。

 闘争体制は、鉱員と職員が連帯してくみ上げた。日給の出来高払いである鉱員の組合である全国三井炭鉱労働組合連合会と、月給取りである職員の組合である三井鉱山社員労働組合連合会が共同闘争委員会を作り連帯して闘った。その後の到達闘争の過程は職員組合の離反として結果していた。現場における職制(係長――主席係員――係員)に対する闘争と、職員労働組合員との連帯という課題が揺れ動いていく。後の五十九年から六十年にかけて闘われた三井三池闘争においては職員の解雇は一名も含まれなかった。そして鉱員組合に攻撃を集中した。

先の「どういう自己批判をしたか」の中において、「四.一部であったが、職員組合との山元共闘が不活発で、闘争推進に支障を与えた。」更に踏みこんで「五.人員充足闘争並びに請負制度撤廃と身分制度撤廃が不成功であった。」と正面から総括している。

 

Cしかし、闘争の成果は確固たるものであった。

 同じく「どういう自己批判をしたか」のなかで現場の状況が生き生きと表現されている。「われわれは、資本家階級が実権を一手に握る社会における企業整備反対闘争が、容易ならぬ困難と敗退とをかさねてきた歴史をも承知していた。そのためにこそ、かってない闘争の決意を打出し『大衆闘争方式』と柔軟な『減産闘争』により長期闘争を計画したのである。そしてこの闘争力は『職制』を下部から叩きくずして、資本家一流の『面子』を放棄せしめ、遂に百十三日の激闘の末千八百十五名の被通告者を再び職場に迎えることができたし、毎日の作業場である『繰込場』においては『労働歌』を高唱して入坑するという状況になった。従来は『繰込場』における組合の情宣活動でさえ届出制であって『入坑遅延』が首切りに発展するほど『職制』の監視が鋭かった。」

 そして同時にこの闘争過程で三池に炭婦協が結成された。これが後の闘争が生活に根ざした大衆闘争となる大きな根拠となって行く。職場の団結による家庭、地域の生みなおしと同時に家庭が職場の闘争を支える力となって行く。幹部闘争から「英雄なき」大衆闘争への転換の実際の成果であった。

 

第二の前哨戦としての経営方針変革闘争から長期計画協定闘争へ

 

 @「英雄なき百十三日の闘争」の地平は、現場においても当局と組合の力関係においても労働者の側に有利に推移した。この第一の前哨戦の戦況を基礎に第二の前哨戦に入る。

 当時の炭労が所属していた総評の高野路線は、一つの特徴を持っていた。それは、民同左派とも、社会党左派とも、さらに労農派グループとも異なっていた。高野路線の構造は、(1)中ソを平和勢力として規定すること(2)軍事経済政策に替る平和経済政策の実現から平和政府樹立(3)職場から労働プランの実力闘争を積み上げ、国民的統一闘争へ、となっている。それは、組合運動は経済闘争、政治は院内政党という枠を普段に超えようとするものとなっている。確かに、労農派も組合の階級的強化を謳い、階級的主体性を強調するのであるが組合は組合、政党はその外に統治党として位置付けられている。高野路線は、組合の運動をそのまま政治的階級闘争としておしあげるとして、統治党型の議会主義的路線と衝突する。猪俣の「横断左翼論」の影響であるが、総評主導というかたちで大衆闘争の政治化が進められ左派社会党、民同左派、向坂派と衝突する。しかも、当時のイタリアの工場占拠自主管理闘争の波をうけて、「イタリア型逆スト」をうちあげ、「労働プランによる就労闘争」路線を打ち出した(「総評」 NO.200 「主張」)。この延長に、「平和政府」を展望する。これは、突き詰めるならば左派社会党、向坂派の「国有化路線」と衝突することになる。三井三池は本部支部を中心に向坂グループの影響を受けてきた。一部で行われていた研究会が、組合員の大衆的学習会、主婦達の学習会へとひろがり、労働者が職場の主人公であり、この社会の主人公になってゆくのだという階級的意志を啓発していった。しかし他方、向坂の内容は、「窮乏化法則」プラス「思想強化による組合の階級的主体性の強化」という以上ではない。まして、「ソ連=社会主義」規定をベースにした統治党型国有化方針しか持っていない。向坂グループが頑張っても、この偏狭さはそんなに大衆的に浸透するものではない。当時の三鉱連は、総評のいわゆる高野路線、左派社会党路線の複合的影響下にあったというのが実情であろう。三井三池のおいても、左派社会党系列の活動家層が組合の中心を担っていたのであるが、渾然とした未分化な左派路線となっていたのが実際の姿であったであったと思われる。向坂派が他との区別性をつよめていくのは六十年代に入ってからのことである。三井三池は平和革命論で完全に理論武装していたなど言う人もいるようだがそれは後からの言い方である。

 三鉱連は、「百十三日の闘い」の総括を深める中から一九五四年十月十八日「経営方針変革闘争――経営の社会化」の方針を提起した。これは当時の三鉱連の戦略、職場闘争の位置付けをわかりやすく展開している。内容的に重要なので長くなるが引用する事にする。

 「(1)基本的な考え方

1.企闘の自己批判

    企闘に関する中闘自己批判書で明らかなとおり全く文字通り未曾有の激闘となった『百十三日の闘い』によってさえ、われわれの主張は充分に貫かれず完全な勝利を得るに至らなかった。

     その第一の原因は、……金融資本や反動政府に対する労働者階級の闘争が著しく未成熟だったということである。……

     すなわち、敵に対するわが陣営の闘争力が不十分であり、主体性の確立の急務なることを確認せざるを得ないのである。そしてこれは、企業内闘争の限界を正しく認めることである。つまり我々の生活を守り自由を高めるためにはヨリ幅広い階級闘争力の充実・高揚によって敵権力を叩かねばならない、という階級闘争への認識につながるのである。

     そして、この『主体性』の確立は、第一に基本的な労働者階級としての立場、すなわち端的にいって階級政党の実力や日本の労働者階級の最大たるものとしての総評や産業別組織たる炭労の強化といういわば企業外の『階級的』な主体性の確立と、いま一つは三鉱連の百十三日の闘争を経たわれわれの自己批判をも含めて、善かれ悪しかれ日本の労働組合の組織上の実態としての『企業内』における強固な主体的闘争力を確立しなければならない。そしてこの二つを有機的に関連せしめて前進を図ることである。

     ………

     そのためには、百十三日の闘いの教訓と体験を活かしたものとして、企業の枠を超えた強力な階級闘争への参加、推進と、さらに工夫をこらし力を結集した企業内の闘いの強化という二つの命題をこなしていかなければならない。これはつまり三鉱連の二刀流論議である。……

  2.経営方針変革闘争

    ……われわれの主張が、「経営に参加し協力する」というように誤解され……この点に関する反省を示して大会は行動方針の『経営参加』を『経営の社会化』という表題に改めたのであるが、骨子ともいうべき考え方は諒解されている。」


 さらに一九五三年臨時大会決定の「中闘自己批判書」を再録した「英雄なき百十三日の闘い」(企業整備反対闘争白書として出版)の「経営の社会化」に触れた箇所を引用して


「(イ)労働者の骨肉の犠牲にのみによる利潤を一方的に搾取し支配する資本主義体制に対する反対は反対として、すくなくとも現状においては、利潤の源泉として労働者の企業内のあらゆる発言を飛躍的に強化しなければならないと訴える。

  ……さいきん「労働プラン」とか「産業綱領」などという言葉が流行しているが、これは要するに今までのように、賃上げ闘争や首切り反対闘争が始まってから、経理の内容を聞かされたり反対したりすることではない。ふだんから積極的に職場闘争力を基盤とした経営方針に対する発言権の拡大・樹立が日常闘争として積み重ねられることによって闘いとられるべきものである。……

 (ロ)とくに、われわれの場合は、経営者層の人事刷新についても要求を掲げている。……三鉱連の場合も不当な職制の支配・強圧に対する壮絶な闘いであったし、いわば『特殊日本型不当労働行為』の根源が、実は搾取体制そのものにあるし日本資本主義の『悪』としてわれわれの上にそれこそ君臨しているのである。したがって、これをハネ返すことは並大抵のことではできないし同時にこれをやることが、すべての闘いの基礎ともなる。……われわれは『ゆきすぎ』どころか、幸か不幸か日本の労働組合の組織形態が企業単位であるだけに、全従業員が一致して反対する職制幹部のボイコットや批判集中の成功は、その後の反職制闘争に無言の威力を加えるものと確信している。

(ハ)このことは、職場の民主化を闘いとるし、われわれに対する弾圧と支配のかわりに、労資の率直な話し合いとわれわれの側の団結強化をもたらすからである。そして、われわれが目標とする『変革』は単に企業内における民主化や経営方針の是正にとどまらず、結局のところ、資本の独善は許しておけない、という立場に立たざるを得ないことになるが、一方資本主義体制のある限り、その『独善』はまさにつきものである以上、より強力な社会的・階級的な闘争に訴えて、権力そのものの変革(……また、なるべく、否絶対に流血の惨をさけたものにしなければならないが)に突き上げざるをえないのである。

 この意味で、われわれも『社会化』が私有権の制限若しくは廃止を指すことを万々承知の上で、しかも経営の中に『社会化』の基礎を求め、それを具体化することを強調しているのである。」


ここに、職場闘争の戦略的位置が明示されている。それは「職場の民主化」であり、「団結の強化」であり、二刀流で経営の中にも、また全社会的階級闘争にも「社会化」を実現して行くのだということである。不当な職制の支配・強圧は搾取体制であると規定して、反職制闘争を位置付けている。 

 特に注目するべきは、引用最後の二行である。資本の独善を許さないという立場を貫くかぎり、権力の変革を目指さざるをないという主張のあとで、経営の中にも社会化を貫くのだする、その社会化は私有権の制限ないしは廃止を指すことを万々承知だと鮮明にその意義を突き出した。これは、いわゆる「経営参加」路線なのではないのかという批判に対する反批判という性格から言葉が強く使われている面があるが、しかし、戦略的意味を提起しているのである。

 

Aわれわれはこの方向を肯定的に受け止める。なぜなら、たしかに当時の路線は議会主義的傾向があるが労働組合が全階級の社会的政治的運動の先頭に立つということ、資本主義の転覆を掲げることはそれとして前進的なことである。本来的に労働組合は労働組合の「第二の資格」、賃労働と資本の関係そのものに、原因に迫る闘いを進めなければならない、その闘争の中から階級形成を勝ち取って行かねばならないのである。これを「はみ出し」であるとか、本来の労働組合の任務を超えるとか、政治は政党の仕事であるとか、または労働組合は政党に指導されてはじめて階級的になるとか、山ほどの否定的な反対意見があったし、また今日においても声高に主張されている。

労働組合は、確かに賃金と労働条件をめぐる日常闘争から出発する。しかし、その団結の発展は、本質的に無限に発展的なのであること、団結と闘争が諸個人の発展をうながし、諸個人の発展が又団結の生みなおしとなることによって進んで行くのである。だからこそ、階級の党が生み出されるのであり、その党は大衆組織に内在して推進力となるのである。外的な目的を振りかざして外から組合=大衆組織にもぐりこみ、または支配制圧してひきまわすような宗派運動は、労働者の階級的自立こそが自分達の根本的否定となるということを自覚するが故に、あくまでも組合は「改良的民主的に!」「革命そのものは自分達のみが指導するのだ!」と制限を加えたがるのである。

労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である、という原則は現実的にはかく労働組合においても貫徹されねばならないのである。

階級運動と宗派運動の対立、われわれは戦い抜いてきた。われわれの運動の前進は、大衆運動の階級革命的推進のためであった。なぜわれわれが、革マルや向坂派と対立を繰り返してきたのか。宗派も最初から反動としてあるのではない。或る局面においては前進的意義を持つことさえある。しかし、労働者大衆が自立した運動となり、階級的に革命的に前進するやいなやその瞬間から、自分自身の否定を感じて制限に回る。自己の「世界改造計画」を否定されることを直感するからである。かくして、この階級運動の中から生み出される階級の党、またはその萌芽を抹殺しようとするのである。こうして、階級運動に対する宗派の反動的敵対を打ち破ることが階級運動にとって不可欠の課題となる。これを突き抜ける方向性をもたないとするならば「内ゲバ反対論」者は、評論家にすぎないものに堕することになる。スターリン主義への屈服のソ連圏プロレタリアートの長い歴史を総括しないところの、宗派運動に対して全く無自覚な小ブル社会主義諸潮流の思想的武装解除状況は改善されねばならないと考える。彼らが忘れてしまっていて気がつかない点は党派と大衆運動の同一性と区別性である。区別性のみ前提として理解し、同一性を理解できない。これこそが、彼等共通の欠陥である。天上界の財産争いを平和的におこなうべきか、力ずくで行うべきかという論争そのものが不毛なのである。多くの人が彼らの討論を聞いていてどうしても力がはいらないのはそのせいである。

三池労組は、資本のつくりだす秩序を蚕食して労働者の自主的に管理する秩序を対置しようとしていたのである。労働組合運動として、資本の論理を部分的に覆す戦いを挑んだのである。この闘争は、改良か革命か、と問えば革命なのである。

 

日本生産性本部を拠点とする産業合理化攻勢

 

@話を元に戻すが、当時の日経連の合言葉となっていた「経営権の確立」とは、資本の社会的権力の確立のことであり、専制的支配権の確立のことであった。

 経済同友会は、五三年一二月一五日アメリカ大使館一等書記官ハロルドソン氏を招き、ヨーロッパにおける生産性向上運動の概要を聴取した後、五四年一月一四日にこの問題を具体的にとりあげることを決定。直ちに経団連、日商、日経連等の団体に呼びかけ四団体の首脳部の間で大体の構想がまとめられ、三月一七日には四団体共催で業種別団体一九の各事務局長、専務理事との懇談会が開催された。三月一九日には四団体の代表及びそれに所属する代表的企業主一九名が参集して「日本生産性増強委員会」の結成をみるにいたった。(資料「労働年鑑」)

 政府は「生産性向上運動に関する閣議決定」(一九五四年九月)をおこない、日本生産性連絡会議、日本生産性本部を発足させるとした。この時点を転換点として、文字どうり政治権力と資本家のあからさまな体制の全重量を懸けた合理化攻撃が「国民運動」として開始される。

 発足の仕方そのものが語るように、すでにヨーロッパにおいてはマーシャル・プランと背中あわせに「生産性センター」がアメリカの後押しで展開され、労働戦線を分断しつつ資本の支配力を強化する過程が進行していた。

 九月の閣議決定のなかで「フランスを始めとする欧州15ケ国においては、すでに数年前から、それぞれ、このような生産性向上運動実施の中核機関として『生産性センター』が設けられ、当該政府の援助、米国対外活動本部(F・O・A)の援助を受け、活発な活動を行い大きな成果を収めている。」とし、これに習えとした。

 日本生産性運動の基本思想は一九五五年五月二十日の「三原則」、一九六〇年四月六日の「五周年宣言」、さらに一九六五年三月一日「一〇周年宣言」に要約されている。そこには、技術革新と近代的労使関係と経営者・労働者・消費者の一体となった国民運動が謳われる。しかし、当時の政治判断が浮かんでくるのは「生産性向上計画に関する日米両国政府の公文交換」である。「両政府は、生活水準の漸進的向上を可能にする健全なかつ発展的経済の確立が国際平和に不可欠のものであることを承認する。」「この計画の目的は、日本の工業、農業及び商業の技術上の能率の増進および健全な労働運動の推奨によって日本国における生産性を向上させること並びに……」このように「健全な経済」「健全な労働運動」が強調される。ここでいう健全とは、当時の政治的言葉としては体制内的、または体制擁護的という意味である。

 さきに技術革新とそれにともなう労働の分裂、それがいかに資本の社会的力の強化になり、またそれによって絶対的・相対的剰余価値の生産がさらにすすめられるということ、余剰化された労働者が相対的過剰人口、産業予備軍に叩き込まれることによってされに資本の側の力が強められること、この円環をつかめてきたわけであるが、この生産性運動の出発点におけるいわゆる「三原則」=第一回生産性連絡会議決定「生産性向上運動に関する了解事項」(一九五〇年五月二〇日)にはすでにこの生産性運動が首切り失業を不可避とすること、これを前提として推進することを述べている。

「1.生産性向上は、究極において雇用を増大するものであるが、過渡的な過剰人員に対しては、国民経済的観点に立って能う限り配置転換その他により失業を防止するよう官民強力して適切な措置を講ずるものである。

2.生産向上のための具体的な方式については、各企業の実情に即し、労使が協力してこれを研究し、協議するものとする。

3.生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする。」

 

Aこの国民運動として企まれた生産性運動に対して、労働の側は十分に対処できないばかりか当時のILOへの参加を追い風として受けながらこの国際的な波に飲みこまれていった。たしかに総評は当初この生産性向上運動に反対した。実質賃金の引き下げであること、職階給、能率給の導入反対、労働強化反対という理由であった。しかし、技術革新、近代化には思想的にも実践的にも無抵抗であった。

 総評の「生産増強に対する基本的態度」(一九五五年三月十四日)は次のように述べている。

 「われわれは設備の更新、近代化をともなわずして行われる労働生産性の増強にも反対する。なぜなら設備の近代化も技術の進歩もぜんぜん問題とならずできる限りの安い賃金と非人間的な労働強化をもたらすにすぎないからである。」このように技術革新、近代化をむしろ肯定的に受け止めている。総評はそもそもの緒戦において敵の攻撃を見誤ってしまっているのである。それは端的には国鉄労組第17回臨時大会決定「オートメメーション化、機械化等、近代化に対する闘い」(一九五八年一月二九日)にみられる。「われわれはオートメーション化や機械化そのものに対して反対しているのではなく、その社会的諸結果に反対して闘っている。」

 資本のヘゲモニーのもとに技術が導入され、機械が駆動されるということは、その諸結果は資本(当局)の専制支配の貫徹のテコとなるものである以上、資本と労働の対決は、技術・機械のヘゲモニー争いとして戦われざるをえない性格なのである。それにもかかわらず一方的にヘゲモニーを渡しておいてその結果に対して闘うということがいかなる意味なのかは明らかである。国鉄労組は、同決議の中で闘い方を次のように決めている。

 「これからの闘いをどう発展させるか。

 オートメーション化、機械化そのものに反対しているのではなく、その社会的諸結果に反対して闘っている。だからわれわれの目標は今まで現れている社会的諸結果と五ヶ年計画を分析する中から職場の労働者の要求するどんな小さな問題をもとり上げ、これを目標にし確信のある闘争を組まねばならない。」

 合理化は社会の進歩であってそれには逆らえない、というのが当時は「常識」とされていた。科学技術の発展が、その資本主義的あり方としては、労働者に敵対的なものとなること、資本主義的生産が支配的な社会においては科学技術は中立なのではないことから、科学技術の人間的解放こそが問題なのであって、科学技術の民主的利用ということではない。

 

合理化の本質と労働者の自立とは何か

 

@ここで、合理化について理論的に再整理することにする。当時の左派社会党に影響を与えた向坂派の理論が実は合理化の本質をつかめていないがゆえに、したがって、当然にも労働者の階級的自立ではなく、『窮乏化法則』の認識と国有化路線を軸とする『平和革命論』のイデオロギーの拡大が「階級的主体性の強化」が獲得目標とされる。そして、どんなに戦闘化しても組合は組合、政権は社会党の拡大という統治党依存の組合という位置付けが出てくる。資本主義批判の内容が、実はこの見せ掛けの理論による革命という宗派構造を生み出すのである。

 われわれは、「労働者革命の時代における合理化とは何か  中村洋」(一九六四年)の中で、反合理化闘争の方針を打ち出した。(滝口弘人著作集第一巻収録)

 詳しくはこの論文を再度通読されることを希望し、ここでは問題となる要点を整理することにする。

 向坂派および労農派全体が、資本主義批判として窮乏化の法則と搾取しか問題としていない。実はこのことが決定的な誤りである。一九五〇年頃のソ連の規定をめぐる雑誌「前進」内部の論争において小堀甚ニと向坂逸郎の対立があり、向坂はソ連=社会主義規定を主張した。向坂の判断の基準には、労働者がどの程度自主的に振舞えているのか、どの程度自立して生産に当たっているのか、この決定的な基準が欠落している。言葉の上では「労動者が社会の主人公」だと語るのであるが、それは言葉の上で持ち上げただけである。資本の搾取がないから社会主義、という基準が本当の資本主義批判にならないということを全く自覚できていない。残念ながら当時の労農派はこの程度の社会主義者でしかないのである。

 我が潮流は、一九六〇年代前半に、それまでの労働運動、とりわけ一九五〇年代後半の三鉱連の職場闘争に注目し、この闘争の真の意義は何か?と深く考察した。それまでの合理化に付いての把握はほとんど「労働強化」としておさえるというものであった。労働時間法が労資の対立のなかからつぎつぎと立法化されるなかで、資本側が狙ってきたのが労働強化による搾取の強化だ、と。しかも、合理化には良い面と悪い面がある。悪い面に対する反対を、したがって、合理化が実施されてその結果労働強化になるならばそのときは反対しよう、というものであった。

資本主義批判は、搾取のみならず、資本の元への隷属、専制支配が批判されねばならない。(これまでのあらゆる理論はこの肝腎な内容を欠落してきた。)したがって、当然にも隷属に抗して立ち上がる労働者の自主的協同労働がその否定として立ち現れなければならないのである。単に、資本主義批判の理論問題としてしか考えられない人がいるかもしれないが、いかに資本主義の本質を掴むのかということは、その否定のしかた、したがって新たなる社会の内容を規定する。したがって、個々の闘争と組織のつくりかた、戦術戦略全般に渡って違いが発生する。当時、ソ連を社会主義だと規定した労農派は、その程度においてしか資本主義批判をしていないことを端的に物語っているのである。

 

A一九六一年五月の「解放」六号の「共産主義=革命的マルクス主義の旗を奪還する為の闘争宣言(草案)」の冒頭の文章は次のようなものであった。

 「資本制奴隷所有者の全体制に対する組織的反逆の意図を公然と表明し、資本に対する労働のあらゆる闘争において、労働者階級の歴史的任務――個々の不正ばかりでなく、不正そのものと対立し、矛盾の結果ばかりでなく、矛盾の前提そのものと闘い、すべての人間性を奪われているが故に、人間性の完全な回復の為に直立した巨人の偉躯をもって起ち上がり、それと共に、全被抑圧人民の政治的解放と、それに止まらず人間的解放にまで導く外には、自己を解放し得ないところの、労働者階級の歴史的任務、すなわち、このプロレタリア共産主義革命の限りなく偉大な歴史的事業を前面に押し出し、この事業に自らの全行程をしっかりと据えつけようとしている決意している全国の革命的同志諸君に訴える。」

 この冒頭の文章に現状の把握、革命の主体、共産主義革命の目的が簡潔に述べられている。

われわれの資本主義批判は、労働者階級に対する社会的隷属と政治的支配に対する批判があくまでも出発であった。合理化に対する把握は、このところから出発する。

 一九六三年十二月に故滝口同士がまとめた「反合闘争――都市交の闘いから――」において、合理化の本質規定と帝国主義段階の段階的規定を定式化した。(「滝口弘人著作集第一巻」)

 「われわれは、すでに『合理化』の本質を、『能う限り大なる剰余価値生産』、『能う限り大なる資本の自己増殖』、『能う限り大なる労働力の搾取』としてとらえ、それを同時に、資本のもとへの労働の『形式的及び実質的包摂』、資本への労働者の『絶望的隷属』又は『無条件的従属』、労働に対する『専制的』な『資本の権力』、または資本の『社会的権力』の完成への運動に帰着させた。」(同上 一五一頁)

 これは合理化の本質規定である。このうえにたって、帝国主義段階の産業合理化が規定される。

 「『産業合理化』は、帝国主義の鬨の声である。ロシア革命以降、世界資本主義体制が公然たる反乱にまで発展する階級闘争によって震撼させられ、プロレタリア革命を直接に突きつけられる時代の、帝国主義の国家独占資本主義的強化のスローガンこそ『産業合理化』である。」(同上 一五一頁)

 「帝国主義的合理化の最も重要な特徴は、この『資本家への労働者の絶望的隷属』を完成しようとする運動に国家があからさまに乗り出し、国民運動という外観をとることである。……。国家独占資本主義の根本的特徴は、資本主義的生産、資本主義的蓄積過程への国家の介入ととらえられる。もっとも、この介入は、資本主義的蓄積の本質または、『単純な基本形態』を変えるものではないが、帝国主義の『産業合理化』はこうして、社会的労働過程と価値増殖過程との統一としての資本主義生産過程から出発する資本の社会的権力と、上部構造である国家権力または政治的権力とのあからさまな結合として、帝国主義の国家独占資本主義的展開として『資本家への労働者の絶望的従属』を『国民的』運動として推進しようとする鬨の声である。」(同上 一五二頁)

これは極めて大切な内容と考えるので本質規定に関連する重要な箇所のみ参考引用として文末に掲載します。猶、詳しくは「滝口弘人著作集 第一巻」を精読されたい。(註一)

 

B当時三鉱連、三池において焦眉の課題となっていた機械導入と職制強化についてその本質規定をここに再度整理したい。

機械の導入は、単に労働強化、搾取の強化ということで捉えられてはならない。上記の引用において既に明らかになっているように、資本の専制支配力の強化になるのだということ、このことが重要である。

機械はそれが本格的に導入されることによってはじめて、「技術的に明瞭な現実性をもって」労働条件が労働者を使うという資本主義的転倒を顕にする。さらに、機械の導入をもって、「兵営的規律」が作られ、監督労働が発展させられる。ここに重要な問題がある。単に、機械の導入と、監督労働の強化が平行して進むというのでもない。単に労働強化だ、搾取の強化だ、ではすまないところの資本の権力の飛躍的強化が、機械の導入の高度化がおこなわれるたびにそれを梃子としておこなわれるということが決定的に注目されねばならないのである。(註二)

さらに、これは今日の高失業時代とめまぐるしいITを軸とするスクラップアンドビルド、国内分業の再編がもはや国内に止まらず世界市場の規模での分業の再編成へと変化して久しい時代において、相対的過剰人口の圧力がまさに世界市場の広がりの中に現実的に作用する局面を迎えている。機械の導入は、すでに機械によって排除された労働者をこの相対的過剰人口の中に叩きこむのみならず、標準作業が一定の教育さえあれば、いかなる国においても可能となることによって、機械が国境を越えて安い労働力を求めて移動することによって人為的に相対的過剰人口を拡大する。

「機械の資本主義的充用は、一方では、労働日の無制限な延長への新たな強力な動機をつくりだし、そして労働様式そのものをも社会的労働体性格をも、この傾向にたいする抵抗をくじくような仕方で変革するとすれば、他方では、一部は労働者階級のうちの以前は資本の手にはいらなかった諸層を資本にまかせることにより、一部は機械に駆逐された労働者を遊離させることによって、資本の命ずる法則に従わざるをえない過剰な労働者人口を生みだすのである。こうして、機械は労働日の慣習的制限も自然的制限もことごとく取り払ってしまうという近代的産業史上の注目に値する現象が生ずるのである。」(資本論「原p430」)

一九六三年当時の合理化論において、合理化が相対的過剰人口の形成へとつながり、そのことによってさらに資本の力が倍化されるという円環についての把握が十分ではなかった。東京都交通局の合理化絶対反対闘争の総括のなかから、「働く権利」というスローガンが浮かんでくる。ここに新たな問題意識が実践的に発生する。今日これをさらに世界市場の上で起きている事柄の中で深めることが大切である。(註三)

今日、地球上の多くの旧植民地の人民が救援物資、救援金でかろうじて生活している。そしてこれは固定化されつつある。後進資本主義国は高い失業率(二十%など不思議でなくなっている)と低賃金が慢性化しつつある。先進資本主義国は産業空洞化で失業率が上昇中である。この世界市場が、為替制度の変化とソ連圏の崩壊を契機とする飛躍的な資本の国際的移動により、日々深刻な相関関係をもつようになることによって、この世界市場の上にこの『絶対的な一般的な法則』が現実的に貫徹しているのだということを掴まねばならない。この視点から、一九五〇年代の合理化をあらたに捉え返す必要もある。帝国主義的工場制度の確立へ向う出発点にたった時期の、したがって、資本の側においても自己形成期なのであるが、資本の社会的権力の強化をすっぽりと見落とした向坂流の「窮乏化法則」は、実は資本の攻撃を見誤るばかりか、労働者の闘争に関しては有害な理論となってしまっているのである。あとでみる六十年代の「長期抵抗闘争」と「平和革命論」の結合は、資本の側の労働者支配の強化に対して全く無力であったし、闘う勢力に対す制限として現れ、みるみる反動となって自己形成することになっていった。彼らが、自分たちこそが一番革命的だと自負しながら、われわれの運動に対立しながら反動として自己形成する羽目に何故になったのかいまだに分かっていないと思われる。

 

Cわれわれの内部においても大きな反省もある。

階級闘争が直接的に革命にいたるような情勢にある場合は、個々の闘争が連続して時間の差があれ地域的結合の中で、全体へと向うことが可能である。それはたとえ敗北したとしても闘争体の結合によって前進可能である。ところが、階級闘争の安定期や動揺期にあっては、孤立した敗北は、突き抜ける戦略的方針抜きには、また家族を抱えて日々の生活を維持するためにはどのようにべきなのかを明確に提起できなかったということを反省する必要がある。党的組織または闘争組織の専従となるとか、争議団として支援団体と連携するとか一部ではその次が考えられた。しかし、それは、戦略的な方針ではない。六十年代中期に東京交通局の都電撤去反対闘争において絶対反対の闘争を組んだ。この敗北の中から、「働く権利」という問題意識を浮かび上がらせた。しかし、この当時において、その実践的方針にまでは手が届かなかった。今日思えば、この実践的内容として敗北的前進としての生産協同組合運動への飛躍が問われていたのであった。また逆にいうならば、生産協同組合運動は、資本の下への隷属に対する闘いのなかから資本と労働の両極を両極ながら廃棄するという志と戦略内容を実際に獲得した団結に直接的、間接的に支えられること抜きには、資本主義の論理と壁を突き抜けることはできない。資本主義的生産の本質的法則に手をつける闘争の敗北的前進は、新たな生産様式を自ら部分的に作りだすこととして資本主義的生産を突き抜ける方向性を戦略的にもたねばならないのである。反合理化闘争論は生産協同組合運動とリンクしなければ壁を突破し得ないと考える。闘争論については今後更に深めることとしたい。

 

長期協約闘争から到達闘争へ

 

@「経営方針変革闘争――経営の社会化」路線の上に、全国三井炭鉱労働組合は、一九五四年十一月三〇日、「経営方針変革に関する交渉開催の申入書」を栗木社長に突きつけた。この延長に「長期計画協定」(一九五五年十一月)が組合に有利に締結され、その実施、監視のために職場闘争を拡大してゆくことになる。

「貴社は二五年末に希望退職の美名にかくれて不本意ながらも退山した者を含めて実に一万二千余の人員整理を強行しながら、翌二六年および二七年度には計約四千の新規採用を一方的に行い、次いで二八年八月には公傷者、結核患者等を含む五千七百余の指名解雇を再び強制し、当方との間に未曾有の大紛争を惹起せしめたものでありますが、独善にして定見無き貴方の経営方針は……」と「申入書」に示されるように、会社側の経営方針の場当たり的無定見さに対する組合の怒りと主張には、会社側も劣勢たらざるをえない状況にあった。

五五年当時、石炭合理化臨時措置法がつくられ、各社一斉に合理化計画を作った。三井はこの時すでに十年間の長期計画案を作っていた。これに対する反対闘争にたいして会社側は組合に譲歩しながら『長期計画協定』を結ぶことになる。「組合員の完全雇用」、「労働条件の変化」については「各山元で会社組合間において具体的に都度協議する」、「保安優先を確認」を骨子とし、これ以降の組合の基本路線として協定を組合に有利に展開する。

力関係は組合側に有利に展開していた。「百十三日の闘争」において、「生産疎外者」として組合活動家を現場から排除しようとする会社側の攻撃をはねかえすことによって現場の組合側の力は再確立された。さらに大衆闘争の推進によって各職場で「職場闘争委員会」という形で大衆的組織性が確立され、対照的に職制の権威は失墜していた。会社側の宥和政策もあいまって、五四年五月の三池労組「行動方針」以降この力関係のなかで各職場において座り込み、作業拒否の実力闘争によって要求を貫徹していった。下部職制は、三鉱連と三社連の共闘関係を背景に鉱員組合の職場要求を認めてゆく。現場においては分会という組織体と個々の係長、主席係員、係員の個人の共闘という形であり、現場の共闘のヘゲモニーは分会が握っていた。また、下部職制を会社幹部との闘争に共に立ち上がるように説得する。現場職制は三社連の組合員として、三鉱連の組合員とともに会社幹部と渡り合うことになる。この過程で、現場ごとの力関係の差は生まれると同時に公表されない既得権が職場ごとに発生する。(いわゆる「隠し田」である。)職場のばらつきを、もっとも高い地平に統一するための「到達闘争」が組まれる。しかしこの過程で三鉱連と三社連の共闘関係は解消される。更に会社側は四三日にわたるロックアウト攻撃を契機に職制教育を徹底して行く。かくして職場闘争は現場の指揮権をめぐり力のせめぎあいのヨリ激しい衝突となって行くのである。

 到達闘争は、三鉱連の他の炭鉱にも広げる到達闘争として組織されたが、あくまでも主軸は三池労組であった。五六年の炭労の春闘の前段闘争(実質賃金獲得闘争)にあわせて取り組まれた。この当時、炭鉱資本の側は政府とともに厳戒態勢に入っていた。

 

Aこの到達闘争の特徴は三つに要約できる。その一は、強い職場の条件に合わせるという要求であること、新たな要求ではないこと、当然にも自分の職場に置いても獲得されるべきであるという要求であること、そういうものとして九八六件の要求を突き出したこと、第二に、三権を一四一ヶ所ある職場分会にまで委譲したこと、「支部闘争事項に関しては支部闘争委員長(支部長)、職場闘争事項に関しては職場闘争委員長(職場分会長)に三権を委譲する。」(「鉱職共闘指令第三号」)としたこと、第三に最後の現場共闘となること、「イヤデモ向かせるぞあっち向け%ャ争」として組まれたこと、しかも、職制支配に関する要求も多く含まれての共闘であったこと、以上である。

 会社側はこれまでの職場闘争に対する宥和的対応の限界に来ていることを感じていた。そこに現場職場分会への三権委譲をもはや引けない重要問題とした。三月五、六日に行われた未解決事項突破のための職場ストライキを契機に会社側は「山猫ストライキ=違法スト」キャンペーンを展開し対鉱長交渉を拒否する。これは会社側にとってはこれまでの職場闘争をさらにエスカレーとさせるならば、職場の支配権は完全に失われるという危機感があり、労組側にとってはこれに敗北するならばこれまでの職場闘争を全否定されるという引けない線であった。三池労組は三月六日より本部指令の部分ストライキに戦術変更することになる。会社側は三月一六日、ついにロックアウトを発令した。そのまま炭労の三月十九日からの「原炭搬出拒否無期限部分ストライキ」とそれを向かえ討たんとする「ゼネラル・ロックアウト」に合流する。

四月二日にこのロックアウトが解除されるが、三池においては春闘の賃闘部分ストライキから、再び本部指令の無期限部分ストライキを発令しストライキを続行した。会社側もロックアウトを継続した。三鉱連は、三池労組の到達闘争を支援防衛する闘争を「大衆闘争方式の基礎である『職場闘争』の将来的な確保に重大な影響を決定的にする」として統一闘争として取り組む。この三鉱連の統一闘争が行われた四月十五日の三鉱連と三井鉱山本店との団交によって直ちに「協定書」が結ばれる。

 職場への三権委譲問題は、会社と組合の両論併記とされ、半勝利半敗北の結果となった。会社側は失地回復を遂げ、組合側は職場闘争の分厚い壁に直面することになった。この時期を境に、これまで共闘関係にあった職員は、会社側の「職場規律の確立」の名のもとに進められた職制教育により職制として自覚をつよめ三池労組に対決する姿勢をつよめた。

 

更なる本格的職場闘争へ

 

@三池労組は、これまでの鉱職共闘が解消され、職制との関係が直接的な力関係となったことをうけて、この到達闘争の後、対決姿勢を鮮明にした職場闘争に入る。共闘関係を前提とする職場闘争から本格的職場闘争へと向ったのである。すでに五六年の七月には座り込み入坑遅延闘争が組まれる。半勝利半敗北の失地を回復しながら、更なる職場闘争の推進のために五七年六月、三池労組は職場委員会を各職場分会に設けた。その方針は「職場要求を積極的に取り上げ職制支配を排除して職場の民主化をはかり、生産の主導権を確立するための連携と技術的研究を行う。」というものであった。先述の「経営の社会化路線」は更に「職制支配を排除」し、「生産の主導権の確立」を展望するという方針に向けられて行く。職場闘争が単なる戦術的な物取り主義や労働条件獲得の戦闘的展開として考えられているのではない。ここに「抵抗から職場の主人公へ」(総評「組織綱領草案 前文」一九五八年七月二一日)という姿が浮かんでくるのである。「会社も、五七年五月に発生した大規模な入坑遅延、作業拒否事件について、その責任者の懲戒処分を決意はしたが、それが実現されたのは五九年四月であり、事実上これらの行為に対し、賃金カット以上の対抗措置を講じ得ないまま経過したのである。」(「資料 三池争議」)このように会社側はその時期を振り返っている。

 現場において注目するべきは、第一に切羽における現場監督である鉱員トップの払長は、職場分会の推薦によって選出されること、第二に輪番制が取られたこと、これにより現場の配役は職場分会が実質的に握っていたこと、(これについては「三池争議――戦後労働運動の分水嶺」平井陽一著に詳しく述べられている。)第三にこのことによって、賃金制度による労働者分断策を無効ならしめ、組合の団結を強化することができたこと、このことが重要である。

 組合の闘争力は、不断の競争と分断によって繰り返し破壊される。職能給、能率給の導入は、その背後に鋭い分断の刃を隠しているのである。三池労組の輪番制は配役を分会が掌握することによって分断競争支配をテコとする労働者の労働強化を防ぎ、安全問題と賃金の平等を課題としていたところに特徴がある。それは、組合が大衆闘争の中で培ってきた大衆的権威があってこそ、罰則を含む輪番制の貫徹が行われたのである。

 当時の高野のあとの大田・岩井の「産業別統一闘争」路線を進んでいた総評の三池闘争の受け止め方は「組織綱領草案」(一九五八年発表)に表現されている。(この内容は五九年までの検討事項とされ、その後否定されて行くことになる。)

 「われわれは上から作られた企業別労働組合の弱さもろさをしみじみ体験する中から『幹部闘争から大衆闘争』への道を開拓し、職場を基礎とする統一行動の強化と、職場要求を掲げた職場闘争の展開を学びとった。われわれ企業別労働組合というワクが日本資本主義の構造、わけてもその労働市場の性格と深い関連があるという学問的な問題提起を受けていたが、大衆と大衆の中の活動家はその厚い壁に萎縮してしまうことなく、又それを構造的宿命として救いをただ議会の手に委ねてしまおうともしなかった。そうではなく、下に厚みを加え、下から壁をやぶろうと創意性を発揮しはじめた。職場要求をほりおこして職場闘争を展開する中で、日本資本主義の構造に根をもつ職場の民主主義抑制と労務管理による職制の個人別労働者掌握という根幹をなす搾取形態と激突し、厚い壁をはじめて意識すると共に体当りの中から先進的な組合の手で幾多の部分的成果を蓄積するに至った。三池炭鉱労働組合はその成果を更に前進させて「職場の主人公」への道を探究しはじめてさえいる。もしその道が産業別組織の手で守られ全炭鉱労働者の到達闘争と相まって、炭鉱労働者が強い連帯の中で生産の実力的担当者の地位を既成事実として作り上げることができるならば、企業別労務管理、企業別格差支配という基本的な搾取構造もまさしく地の底からゆさぶられるに違いない。さらにまた、『抵抗から職場の主人公』へのたたかいの中で築きあげられるであろう職場組織と活動家集団と各級機関の運営は、階級解放を生産点で支える社会主義への下部構造の日本的原型に成長しうるであろうことも否定し難い。」

 政治路線的には国民主義的民主主義路線として社会党の枠の中ではあるが、民同左派の一般的運動感覚は未分化にこのようなものであったといえるだろう。この組織綱領草案に深くかかわった清水慎三の見解が濃厚に含まれているのであるが。したがって、三池の闘争について職場闘争を強調する線からは受容する面と、しかし、当時の産業民主主義路線で組合活動を改良的民主的性格として限定するところから、ゆきすぎと批判する面を同時にもつ形で支援連帯は結ばれていた。

 

A五七年、会社側は大々的な機械化案を発表した。翌五八年二月、三鉱連は闘争に入る。「長期計画協定書」の三原則=完全雇用、保安優先、労働条件向上に照らしての機械化交渉を展開し、七月に協定書を締結する。三池においてもその後協定が交わされる。協定により試行期間を設けた。この期間は、暫定的に当該職種の前収を保障する」とした。組合側は、この暫定収入を基準に、保安優先ということを守って、機械の運転範囲を算出した。三鉱連の協定書は「機械化・合理化に伴う将来的保証については完全雇用を守り、保安優先についての実効を挙げ、労働条件については全般的向上を期することとする。」と一項目目に謳った。「長期計画協定」の三項目が盛り込まれた。組合は、当然にもこの精神に基づいて現場にて行動した。

当時の機械化は切羽の機械によるカットと、それに続く採炭工の作業の組み合わせという構造であった。したがって、カッターマンの作業量が全作業を規定した。このカッターマンの作業指揮をどうするのか、これが分岐点であった。現場においては、組合分会推薦の払長が現場の作業指揮をする。現場の係員(職制)の作業指示のもと、この払長が作業指揮をおこなう。このあいだに、組合分会長が割ってはいる。この分会長と払長とが連携しながら、払長が現場作業指揮をおこなう。したがって、現場の係員は、作業量を現場に指揮することができない構造であった。これは、一九六〇年のロックアウトまで続けられた。

これが「生産コントロール」である。

会社側は、機械化によって増産し、「一万屯生産体制」を築かんとしていたのであるが、出炭は減少していったのである。会社側は五九年のエネルギー転換の波を受けながら企業再建に踏み出そうと、矢継ぎ早に合理化案を提出すると同時に、同年四月、十月に「業務阻害者」の懲戒処分を出す。そしてその延長に、五九年十二月十日、千二百七八名の指名解雇通告を発表した。このうち三百名が「業務阻害者」とされた。会社側は五三年の企業整備反対闘争における三百余名の「生産阻害者」の首切りの失敗から六年目の再度の挑戦に出たのであった。三井資本が、労働の側から生産の指揮権を奪い返す全重量をかけた闘争が仕組まれたのである。

 

B一九五九年一月十九日、「第一次企業整備案」が出される。

この案の中心は、長期計画協定の破棄、人員削減、職場秩序の確立、経費削減(福利厚生、賃金)であった。三鉱連は闘争を組み、四月六日に協定を結ぶ。会社側は、長期計画協定の破棄と福利厚生関係を獲得したがその他は残った。会社側は、更に八月二九日に「第二次企業整備案」を仕掛けた。これは人員整理と職場秩序の確立の二本柱であった。

四月一六日、六件の争議行為を理由に分会長の懲戒解雇処分がはじめて出される。続いて九月十七日三名の分会長の同じく懲戒解雇処分がだされた。十一月七日、六名の懲戒解雇処分を通告した。なおかつ二二一〇名の人員減予定の中の千二百名の指名解雇者に別の懲戒処分者を含んで解雇するのだということがわかった。三鉱連に対する第一次、第二次企業整備案の提起と平行して、三池労組に対する懲戒解雇処分・指名解雇攻撃を進めてきたのである。また、第二次案は三池の人員削減の「質」を会社側が突き出してきた。すなわち、「業務阻害者」の一掃が問題だと。

三鉱連の執行部は、条件を譲って解雇を避けるという基本戦略で闘争を推し進めようとした。しかし、会社側の中心は、三池の現場が労働組合に支配されていることを不退転の構えでつぶすつもりだということを知らされる。

三鉱連は、第二次企業整備案にたいして、三ヵ月に渡る団体交渉を続けた。会社側の固い決意の前に十一月十二日団交決裂と結果した。三鉱連は、解雇は反対、生産には協力、希望退職を認める、この3点で会社側と折り合えると目論んでいた。実のところ会社側の強硬な姿勢を理解していなかった。

十月十三日から十一月二十四日までの毎週火曜日・金曜日ストライキについて、三鉱連は途中で戦術ダウンするが三池労組だけは続行する。

団交決裂以降、中労委の斡旋が行われ中山斡旋案(第一次)が出される。会社側はあくまでも「職場秩序の回復」、「業務阻害者」の排除にこだわり、斡旋案を拒否し十一月二五日「非常事態声明」にて宣戦布告し、三池労組に対して十二月一日一四九二名に指名退職勧告、十一日には千二百七十八名に指名解雇通告を出した。

かくして、問題は三池労組の職場闘争の十名の懲戒解雇処分を指名解雇に含めるか、分離した問題(三池労組の行き過ぎと捉える考え方を下敷きとする)として考えるか、と流れが二分したまま闘争は進んでゆく。

三鉱連の執行部は、三池における生産管理状態の肯定的意義をつかむことができなかったばかりか、組合執行部の指導力の不足ではないかとさえ考えていた。さらに、三池労組執行部も、自分達の職場闘争が労働者階級の階級的闘いなのだということを主張することができない限界にあった。当時の三池の組合幹部の大半が左派社会党系の社会党員であるが、この闘争の戦略的意味を左派社会党の路線の中にやはり押し込め、職場闘争の強調としてしか突き出すことはなかった。自分自身においては「労働者が社会の主人公」となる戦いなのだという確信があるのであるが、それを新たな階級闘争路線として普遍化することは困難であった。自分達はアナルコ・サンジカリズムなのではないのだ、という枷を自分で掛けながら、しかし、意義を強調しようとしたとき、それに答える路線が当時は不在なのであった。当時の社会党左派にしろ、向坂派にしろ、社会主義の原像をロシア革命のソビエト亡きソビエトとなってしまったボルシェビッキ独裁――スターリン独裁に見ている傾向があるのであるから、サンジカリズムの肯定的意義を理解しない思想傾向にある。サンジカリズムは、階級形成――労働者自身の党の形成、プロレタリア的階級闘争へと止揚されるべきなのであって、否定される運動では断じて無い。宗派運動は必ずサンジカリズムに恐怖し、制限者、敵対者として現れざるを得ない。しかし、アナーキストの運動はサンジカリズムの、実は別の形の抑制者として現れている。サンジカリズムは、階級的協同の国際的発展のなかで階級の党を生み出してゆく流れの中でこそ発展的になりうるのである。だが、当時の日本の共産主義運動は、このような段階にあった。現実の闘争が言葉を越えて進んでいたのである。

平井陽一氏は、「三池争議――戦後労働運動の分水嶺」において、輪番制、生産コントロールを中心に、組合の内部状況にまで分析を試み三池闘争、とくに職場闘争の質について深い研究を行っている。そして、「三池争議の争点は、三池労組が労働者職場秩序を維持するのか、あるいは会社側が職場に経営権を復権させるのかにあった。」とし、「それではなぜ、三池労組は活動家の解雇反対という一般的主張の流れに任せ、真の争点を広く訴えて炉運送しなかったのだろうか。」と疑問をなげかけ、「基本的な原因は、経営権の蚕食というこれまでの運動とは一線を越えた領域に足を踏み入れたことにたいする躊躇が、執行部にあったのか。あるいは到達した職場闘争の高みにたいする認識がなかったのか。いずれかと思われる。」と結んでいる。

この問題は、当時の高野路線から大田・岩井路線に代わる総評、左派社会党、向坂派社会主義協会、これらの路線との関係で論じられねばならないと考える。この当時、資本の下への賃金労働者の隷属ということをカッコに入れた闘争しか組めていないこと、革命は統治党による上からの国有化路線としてしか理解されていないこと、この二点を挙げるだけでもかれらが自分自身の闘争の意義を自他ともに明らかにすることができなかったのは当然でもある。たしかに、現実の闘争が階級的に闘うのだとしたときに当然もつところの論理、資本の社会的権力に対する闘争へと突き進まざるを得ないという現実がある。これを肯定的に推進するかどうかは、やはり路線問題であろう。頭の中に描かれた「革命の路線」と矛盾しながらの「階級的」大衆闘争となっていったのである。したがって、協会派にみられるように、路線問題として扱おうとする段になると、この闘争の後における総括は「長期抵抗路線」という反動的なものとなっていったのである。ですから、組合執行部は、階級的に闘おうとなると、大衆の自立、資本の専制支配に抗する団結を強化推進しなければならない、しかし、自分達の路線は国民主義的民主主義路線である、この現実と路線の乖離に中で動かざるをえなかった。従って、不理解や躊躇ということではなく、先にも述べたように、現実が言葉、思惑を超えて突き進んでいたのだということ、これを積極的、肯定的に推進する階級的路線が当時未確立であったという歴史的制約を考えざるを得ない。

 

Cこの煮詰まって行く過程が事実として語るものは戦後の資本の専制支配に抗する闘争の一つの極限的天王山となったこと、そういうものとして自己意識を駆り立てられた資本の側が密集した敵となって三池労組に対峙したという階級闘争の現実的過程である。先に「革命期の社会的過程」(二号掲載論文)において、大衆的生産管理闘争を軸に資本の支配権をめぐる闘争を分析してきたが、労働現場をめぐる資本との攻防において、下からの大衆的生産管理闘争を激しく展開した三池労組の孤立した闘いは、残念ながらその革命的意義が、闘う諸個人においてさえ十分には自覚されていないし、十分に教訓とされなかった。実践が意識や言葉より進んでいた。意識はどうしても過去にとらわれていたのである。当時三池労組に理論的影響を強く与えた向坂派は、前衛党独裁=階級独裁という誤った考えの上に、偽者の革命理論を一方的にインテリゲンチャから労働者に拡大するという学習と、労働組合の階級的強化(階級意識の強化)という構造である。行動的には戦闘的組合主義と変わらない。労働者の階級的革命的自立という思想性は微塵もない。向坂の三池闘争の総括が労働者の階級意識の不足ということしか語らないことにすべてが語り尽くされる。

他方、三池の中でも最も職場闘争が広く深く展開された三川支部に影響を与えた清水慎三は、社会党左派の五三年綱領論争における清水私案にみられるように、「原案が革命とプロレタリア権力の大衆基盤を単なる党と大衆組織(とくに労働組合)との有機的結合だけに求めていたのに対し、日本革命に対する内外反革命の強烈さを予想しつつ、なお平和的移行を可能ならしめるためには、下部における権力基礎の培養に特別の配慮を必要とするという観点から『組織的革命方式』という考え方を提案したのであった。」(「日本の社会民主主義」清水慎三)この内容は、さらに先に引用した五八年「総評組織綱領草案」の内容となって行く。確かに、「下部政治構造」(同書)を問題としているのであるが、それをソビエトとして自立した労働者自身の自己権力へ高める思想性はない。あくまでも下部構造と理解されている。当時の総評が「三池のように闘おう」という場合、残念ながら「三池」の生産管理状態の職場闘争がつかまれていなかったのである。そればかりか、総評組織綱領草案(五八年発表)でさえも棚上げにされてしまうという環境であった。

三鉱連は眼前に現れた巨大な壁に面食らいながらそれでも組合活動家をまとめて首にするというあからさまな攻撃に対して対決せざるをえなくなる。しかし、それはあくまでも「第二次企業整備案」反対闘争なのであって、条件闘争の範囲内の闘争という構えであった。しかし三池労組は、いよいよベールを剥いだ会社側の資本の支配権の確立のために、下からの生産管理状況を押し潰さんとする総攻撃にたいして、永い苦闘の末に敵陣の真っ只中に築き上げた赤い橋頭堡、日本の闘う労働者達の名誉ある最前線を守るための孤立した闘いに突入することになった。

 

六十年一月ロックアウト以降の闘い

 

@会社側は年を越して六十年一月二五日ロックアウトを宣告した。ストライキに対するロックアウトの反撃ではなく、先制的に攻撃にでたのである。同時に争議つぶしの常套手段としての組合分裂攻撃、御用組合強行就労、官憲導入の筋書きにそって組合切りくずしにかかった。

 三池労組は無期限ストライキに同日入った。

 会社側は五九年より水面下で職組の御用化を組織的に展開し、佐野学、三田村四郎等の組合分裂の専門家を引き入れながら三池労組の分裂を画策していた。労使協調派、社会党右派の勢力を中心にし、保安発破係等の有資格者グループ、借金苦にあえぐ組員など闘争の長期化、激化に反対する勢力が中心となって三千六十名(全体の24%)の新労を結成する。「結成声明書」は「階級闘争至上主義を排」するとした。この三月十七日の組合分裂は、三鉱連を激しく揺さぶった。三池労組執行部の独走について行けないと感じさせた。組合を会社側に分裂させられて御用組合を作られた争議はことごとく敗北させられてきていたことを考え腰が引けてしまっていた。さらに、翌日の十八日、三社連は炭労を離脱する。

 炭労は十八日、「二〇三号指令」=ゼネスト指令を発するが、三鉱連はこのストを返上する。三鉱連のストを中止し三鉱連を除いて四月五日からのストは実施する、会社側と団体交渉に入る。三池の指名解雇、賃金問題は中労委に斡旋申請する。炭労自体の賃闘も中労委斡旋申請する。このように炭労は三月二七日指令を出し直して急反転したのである。

三池の現地においては、この日新労に対してロックアウトを解除し、四八三一名に対して翌二八日からの就労命令を出した。二八日、三川抗にて大規模な衝突が発生し、二九日には会社が雇った暴力団の襲撃により久保清さんが殺害される。この襲撃に集められた多くのメンバーが、実は三池関連の土木工事の日雇人夫であった。地域における現役・予備役・被差別大衆を含んだ労働者の結合があったならば別のことがあったかもしれない。当日この事件の起きた現場に割って入ったのは部落解放同盟のオルグであった。

会社側は福岡地裁に立ち入り禁止、就労妨害排除の仮処分を申請し決定される。

四月一日より開始された中労委斡旋は五日炭労申請の賃金斡旋案を提示し、双方受諾し炭労のストライキは中止となる。

 局面は中労委藤林斡旋案をめぐって進む。藤林斡旋案は次のようなものであった。

「三井三池の人員整理をめぐる争議は、今日のわが国の労使関係における最も重大な問題であり、労使の主張も深刻な対立を示し、組合側のあっせん申請にかかわらず、会社は遂にこれに応ずるところとならなかった。しかしながらこれを放置することは、三井鉱山の再建のためにもとるところでなく、かつ、徒に社会不安を醸成している現状を考え、職権であっせんに出ることを決意した。」

「一.      会社は昨年十二月十日付けの指名解雇を撤回すること。

二. 解雇の該当者は、同日付をもって自発的に退職したものとすること。

  三. 以下略 」

 この斡旋案を会社側は受諾。炭労執行部は受諾を決定して四月九日よりの臨時大会に臨んだ。

 臨時大会は、九日間の討論の末に三鉱連の退場の中で拒否を決定する。

 「あっせん案は実質的に指名解雇を認めるものであり、この結果は、

一.総資本、総労働の均衡がくずれ、今後の労働運動は後退の一途をたどり、運動の方向の変換を余儀なくする。

二.石炭資本の基本政策たる、十一万人首切り体制を容易ならしめ、今後の合理化攻撃をくいとめることは困難となる。

三.産業別統一闘争の発展を困難にするのみならず、今後の運動の方向を企業の枠内に終止させることになる。

四.職場活動家の解雇を容易ならしめ、解雇権の濫用が行われ、職場活動を封殺し、組合活動そのものを本質的に圧殺する。

五.炭労行動方針の根本的な修正であり、もはや炭労が今のままの炭労として存在しないことを決定づけるものであると同時に、資本による炭労丸がかえを許すものである。」

 このように位置付けて斡旋案拒否を決定する。

 この文面にも明らかなように、資本との対決の中身は覆い隠されたままである。組合活動家の首切りは許せない、というレベルでの意思統一である。残念ながら、これでは政府・日経連、経団連・石炭資本が総がかりで押しつぶそうとするものを労働者の側が十全に理解して腰を落としてかまえて対決するという構造になっていないのである。これは単に炭労だからなのではない。三池労組においても全般的な意思統一の内容は不当解雇反対という点に絞られていたと考えられる。

 この決定が出された直後、四月十八日、三鉱連は会社側と団交に入る。三池労組は三鉱連を抜ける。

 三鉱連は二十三日に会社側と「再建問題に関する協定書」を結ぶ。これにより、三鉱連は三池闘争と縁を切ることになる。

 

A四月二五日、炭労は斡旋案拒否回答を提出する。翌二六日、三池闘争指導委員会はホッパー確保に全力をあげることを決定してホッパー決戦へと向うことになる。社会党は四月八日段階で斡旋案は斡旋案に値しないと反対の態度を決定している。総評は、四月二八日大牟田において全国単産書記長会議を開催し、二九日には緊急評議員会を開催し、三池闘争強化方針を決定する。かくして、社会党・総評・炭労の支援のもとにホッパーをめぐる攻防戦が展開される。

七月十八日、十九日両日の仮処分執行を実力阻止した。執行期限は二一日とされていた。中労委藤林・中山両斡旋員は労使双方に「申し入れ」をおこなった。内容は、斡旋案に異議を申し立てない、組合はピケを解く、会社は生産再開しない、というものであった。炭労はこれを直ちに飲んだ。炭労、三池労組は激突を回避した。会社側は二五日この「申し入れ」を受諾した。

 八月十日、第三次中労委斡旋案が出される。

 「指名解雇をめぐる今次三池闘争の重点は指名解雇の当不当、職場活動の是非、争議行為中の実力行使の三点にしぼられる。当委員会は、この三つの重点について労使双方の言い分を慎重に検討してきた。

 第一の問題については、指名解雇が好ましいものでないことは勿論であるし、この措置に現れた会社の労務政策にももとより欠点がないわけではない。しかし今回の指名解雇は。長期に亘って難行を重ねた交渉のいきさつや、石炭業苦境の中で遂行されたものという事情等から見て、止むを得なかったものと認められる。問題はこの場合の解雇該当者の中に組合のいわゆる組合活動家がふくまれている点である。いわゆる活動家を個々の人について見れば、その解雇の当不当について争う余地が残るかも知れない。しかし組合のいわゆる活動家は会社いうところの生産阻害者であって表裏一体となってお互いに争っている事項を調整のこの段階で個別的にあらうことはできない。

 第二の問題については、職場闘争のあり方そのものに問題がある。昭和三一年以来の三池の職場闘争の実態は会社の労務政策の不備や生産点闘争に対する組合指令の具体性の欠如と相まって正常な組合活動の枠を逸脱した事例のあったことを認めざるを得ない。少なくともこの闘争形態が昭和二八年の争議以来労使の間に醸成された不信感を一層深刻なものとし、今次の類例のない大闘争にまで発展せしめたことは争い難い。

 第三の問題はこの争議についてもっとも多く社会の注目を集めたところである。事実今次争議に現れた暴力行為は極めて大規模な大衆の威力をもって法の執行を事実上不可能ならしめるなど明らかに常識の域を脱しており、社会秩序をまもるという点ならびに労使関係の将来のためにもまことに憂慮すべきものがある。……」

「二.(1)右の一ヶ月の整理期間を経過したものについては、会社は昨年末の指名解雇を取り消し、解雇該当者はこの期間を以って自発的に退職したものとする。」

「自発的退職者」には「特別生活資金」を「二万円」、「期間中勇退希望者」には「四万円を加給」するとした。

「三.昨年末の指名解雇についてこれを不当労働行為として争おうとする者は、争議行為等の実力行使に訴えることなく、裁判所又は労働委員会に提訴又は申立てを行うことは妨げない。」


 八月十三日三池労組中央執行員会はこの斡旋案を受諾しがたいという態度を決定する。しかし、九月八日受諾を決定し、二十九日に指名解雇者の退職届を提出することで終戦を迎える。

中労委、会社側に組合活動家三百余名は「生産阻害者」として実質的に首にされ、長い栄光ある職場闘争は一敗地にまみれた。

 

Bこの闘争は、いかに総括されたのか。「三池のように闘おう」の「三池のように」とは何として掴まれたのか。闘う労働者の自己認識としてこの中身を掴まない限り、またぞろ偽物の革命理論、偽者の前衛指導部の勝手に思い描いた「未来社会実現の諸方策」の物理力とされる労働者運動の絵の中に封じ込められてしまうことになる。上からの統治党としての社会主義の実現という考え方は、単に日本共産党の特徴なのではなく左派社会党、社会主義協会も同じである。暴力路線反対を唱える「良心的左翼」が最近増えているようである。労働者の存在そのものが不当に扱われる資本主義社会において、現存する矛盾が否応なしに暴力的衝突とならざるをえないこと、この存在そのものから生まれ出る必然性に目をつぶる人々は、資本の社会的権力のもとに隷属させようとする諸法策が、桎梏として制限として感受できないような人々である。そのかぎりでは、資本主義の享受者たちの夢想についてゆくほどお人好しにはなれないという労働者の失望を拡大するだけである。

協会派の「長期抵抗路線」は、三池闘争を金から鉛に換えてしまった。

われわれが、反合理化闘争の路線を新たに提起し、労働組合の第二の資格として、賃労働と資本の両極を廃棄するための闘いの一環として資本の下への隷属の強化に抗する自立した団結を鍛え上げて行く方針を明らかにしてきた。そして、それこそ闘争は敗北的前進をたどってきた。

今日、なぜ労働者が過労死したり自殺するほど働かされるのか。先進資本主義国においては、後進資本主義国の圧倒的な低賃金半失業状態におかれた、国際援助、経済支援という名の経済のもとにおかれた受給貧民の大量の産出の圧力によって、労働条件を著しく低下させられ、またこの作られた対立をあおる極右勢力の国際台頭という労働市場の「グローバル化」が進行している。急速に敷衍化される帝国主義的工場制度、近代的労務管理の兵営的発達と絶望的隷属の強化は、労働者を肉体的精神的に蝕んで、世界市場を駆け巡る資本は全身から汚物と血を滴らせながら全世界の人民の大きな割合を新たな相対的過剰人口に仕立て上げつつ、全世界的に労働監獄を強化しながら暴れている。

 

Cこれまでの反合理化闘争の反省として、第一に、国際的視野に足った、反合理化闘争の資本の下への隷属の強化に対する戦略的闘争が新たに構築されて行かねばならないと考える。更に第二に、資本の壁を突き抜ける一点突破の闘争は、生産協同組合運動と結びついて持久戦が展開される闘争構造を立体的に構築することが課題となっていると考える。また、逆に賃労働と資本の隷属関係を打ち破る、闘う個々人の培う結合、団結、協同と結びついた生産協同組合運動でない限り資本の本質的制限を突破する内実を獲得することは困難であろう。
 国鉄闘争が切り開いてきた地平は、この三池闘争の教訓をさらに深める内容を孕んでいる。闘いの炎は脈々と引き継がれている。
 帝国主義的工場制度の過酷な発達と破壊作用により、全世界的に病める都市と沈み行く農村として現れている現代の矛盾が深まる中、三池闘争の教訓を真に生かす道を改めてつくりださねばならない。それが、四十年前に三池に敵陣深く橋頭堡を築き上げた一人一人の労働者の誇りと苦悩を真に引き継ぐことだと考える。

                    了

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(註一)

滝口弘人著作集 第一巻より

 §反合理化闘争――都市交の闘いから――

反戦反ファッショ反合理化について

T 合理化とは何か?

「合理化」、「企業合理化」、一般に「産業合理化」は、帝国主義段階、特に第一次大戦後、もっと的確にはロシア革命が世界市場と世界資本主義体制に巨大な衝撃を与えて以後の、帝国主義の国家独占資本主義的強化の根本的特徴を示す。この「産業合理化」というコトバそのものもこの時期に入ってはじめてあらわれたスローガンである。

しかし、まず第一に、「合理化」を資本主義の普遍的な本質においてしっかりと把握していることが必要である。反合理化闘争も、個々の資本家、個々の「結合資本家」(=株式会社、『資本論』)と闘う限りでは「単純な経済闘争」であり、「純経済的な運動」である。それでは、いわゆる「賃金闘争」とどう違うか?

本来の賃金闘争は、労働市場における闘争である。市場または流通部面における労働力商品の買いと売りである。もっとも、「二重の意味で自由な」労働者として自分自身を「自由」に処分して生産過程に入った時とは、異なったものとしてそこから出て来る。資本主義的生産過程が資本の専制の下にある一つの「牢獄」であり、労働者は何ら「自由な行為者」ではなかったこと、彼らは資本家の奴隷にほかならぬこと、労働力の「自由な」安売り競争は身の破滅であることを思い知らされて。

だが反合理化闘争は、矛盾の発射点、生産過程における闘争である。資本主義的生産は剰余価値の生産である。「資本主義的生産過程の推進的動機及び規定的目的は、能う限り大なる資本の自己増殖、すなわち能う限り大なる剰余価値生産であり、したがって資本家による労働力の能う限り大なる搾取である。」そして「合理化」の本質は絶対的及び相対的剰余価値の生産である。大切な点は、ここでは剰余労働を必要労働時間の領分の掠奪的侵害によってその正常な限界をのりこえて延長するという方法ではなく、労働力商品が価値どおりに売買されるという前提でなお行われる方法だということである。

すなわち、商品そのものが「使用価値と価値との統一」であるように商品の生産過程は「労働過程と価値形成過程との統一」であるが、商品生産の資本主義的形態としての資本主義的生産過程は「労働過程と価値増殖過程との統一」である。労働は「すべての社会形態から独立した人間の存立条件であって、人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性」(『資本論』第一巻第一章商品)であり、労働そのもの、労働対象、労働手段をその単純な諸要素とする労働過程は、「人間生活の永遠的自然条件」(『資本論』第一巻第五章労働過程と価値増殖過程)であるが資本主義体制では、労働者が資本家に商品として売った労働力の使用価値(労働力商品の「特殊なる使用価値」=「それ自身が有するよりもより多くの源泉」)は「売られた油の使用価値が油商人に属しないと同様に」その売り手には属しないのだから、労働力の使用、すなわち労働は資本家に属し、したがって労働過程は、「資本家による労働力の消費過程」であり、それは第一に、「労働者は、彼の労働が所属する資本家の管理の下に労働する」。第二に「生産物は資本家の所有物であって、直接生産者の、労働者の所有物ではない」という「二つの特有な現象」を示し、資本は、その本質からして依然として強制労働である剰余労働の「多年生の血吸出機」(『資本論』第三巻第四八章三位一体の定式)として、労働者から「生血」を搾り取る。

資本主義的生産は、本質的に剰余価値の生産である。そして、資本主義体制では、資本家のために剰余を生産する労働だけが生産的労働であり、資本の自己増殖に役立つ労働者のみが生産的労働者である。したがって、「生産的労働者であることは幸運ではなく、不運である」。資本家が労働者を搾取しない資本主義的生産はない。資本主義的生産過程が、単に労働過程であるばかりでなく同時に資本の自己増殖過程でもある限り、「自己自身で増殖する価値としての資本の運動」である「資本の生産過程」は、「資本家による労働力の消費過程」であり、「生きた労働」そのものを「酵母」として「死んだ労働」である生産手段に合体させ、「資本家に属する物と物との一過程」としての発酵過程に他ならないものとしてはもはや労働者が生産手段を使用するのではなく、生産手段が労働者を使用する。人間の秩序が物を支配するのではなくて、物の秩序が人間を支配する。これは資本のもとへの労働の包摂、資本家のもとへの労働者の従属であり、資本という形態をとった生産手段は「社会的権力」として労働者を支配する。この「顛倒」は「すべての資本主義的生産に共通のこと」である。

したがって、労働市場における賃金の維持をめぐる単なる賃金闘争はそのものとしては賃金制度を前提とするブルジョア的改良の運動であるが、これに反して、資本主義的生産過程の搾取体制から発射する反合理化闘争の本質は、資本主義的私有財産秩序に対する直接の反逆であり、資本の社会的権力に対する闘争であり、多かれ少なかれ「陰然たる」内乱としての社会運動であり、賃金制度そのものに対する反逆である。

絶対的剰余価値の生産は、労働日の長さのみを軸として回転するが、「資本主義体制の一般的基礎」であり、「相対的剰余価値生産の出発点」であり「資本のもとへ労働の形式的包摂」である。

相対的剰余価値の生産は、労働手段か労働方法かに、あるいは両者に同時に、「ある変化」「ある革命」を起こすことによって「例外的な生産力をもつ労働は、強められた労働として作用する」から、その改良された生産様式を用いる資本家に莫大な「特別剰余価値」をもたらし、同時に「競争の強制法則」として彼の競争者を新たな生産様式の採用に駆りたて、結局この全過程によって一般的剰余価値率が影響を受ける。注意すべきは、「相対的剰余価値の生産のための方法は、同時に絶対的剰余価値のための方法であること」である。大切な点は、相対的剰余価値の生産が「労働手段か労働方法かに、あるいは両者に」、「労働過程の技術的及び社会的諸条件」「労働の技術的過程及び社会的人員配列」の変革であり「資本のもとへの労働の実質的包摂」であることである。

絶対的剰余価値の生産は、「資本のもとへの労働の形式的包摂」(『直接的生産過程の諸結果』、『資本論』)であり、相対的剰余価値の生産は「資本のもとへの労働の実質的包摂」(『直接的生産過程の諸結果』、『資本論』)である。特殊資本主義生産様式としての「機械装置に基く協業」は、第一に、その方法のまだ捉えていない産業へのその「普及活動」において、第二に、すでにその方法によって捉えられた産業でそれを「継続的に変革」する限りにおいて相対的剰余価値の生産の方法であるとともに、それによって労働日を延長する絶対的剰余価値の生産の方法でもあり、絶対的及び相対的剰余価値の生産方法として、資本の「能う限り大なる搾取」すなわち資本にとっての「生産性の増大」のための資本のもとへの労働の形式的及び実質的包摂、「資本家への労働者の絶望的従属」の方法である。いわゆる「合理化」の本質は、この「機械装置に基く協業」による搾取方法を、すなわち「機械体系」となった機械装置としての労働手段とそれに基く「工場体制」となった労働の社会的人員配列=協業としての労働方法とによる搾取方法を、徹底的に完成しようとする運動に他ならない。

だから「合理化」は、「能う限り大なる」剰余価値生産を意味するにすぎぬ資本にとっての「生産性の増大」であるばかりでなく、資本家への労働者の「絶望的従属」のより徹底的な完成であることを見落してはならない。

資本主義的生産が剰余価値の生産であり、資本主義的生産過程が「社会的労働過程と価値増殖過程の統一」であることは、資本家による「社会的労働過程の搾取」または、「社会的生産過程の資本主義的利用」を意味するから、「合理化」は労働手段としての機械の資本主義的使用の「合理化」、労働方法としての労働の社会的人員配列=協業=「結合された労働」の資本主義的形態の「合理化」である。

「機械の資本主義的使用」とは何か?資本主義体制のもとでは、機械装置自体の生産に要する労働が、機械装置の使用によって代わられる労働よりも少いというだけでは資本家は機械を使用しない。「資本にとっては機械の使用は、機械の価値と機械によって代わられる労働力の価値との差によって限界づけられる」。「機械装置の資本主義的利用の最初の言葉」は、婦人労働と児童労働である。資本主義体制のもとでは、機械は第一に「人間的搾取材料」を拡大する手段である。機械は、筋肉をますます不要なものとする限り、労働者が自分の労働力を売るばかりでなく、筋力の弱い、または肉体の発達の未熟な妻子を売る「奴隷商人」となって労働力の価値を彼の全家族の全成員を労働市場に投げだして成年男子の労働力の価値を彼の全家族の上に分割し、彼の労働力の価値を引き下げる。資本主義体制のもとでは、機械は、第二に、労働時間短縮のための手段ではなくて逆に、労働日を延長する「最も有力な」「最も確実な」手段である。「使われない剣が鞘の中で錆びるように」非使用から生じる「自然力による機械の消耗」という種類の「物質的磨損」を減少させるためのほかに、「同じ構造の機械がより廉価に再生産され得るか、またはより優良な機械が競争者として現われるかの程度に従って機械は交換価値を失う」という「道徳的磨損」の危険を少くするために、この機械経営がまだ一般化せず一種の独占をなしている過渡期の「特別剰余価値」は異常なまでに大きく、この「若き初恋の時代」を徹底的に利用するために、また、この機械の一般化とともに、機械によって駆逐されたことになる被搾取労働者の相対数の減少を相対的剰余労働のみならず、絶対的剰余労働の増加によっても補填するために、間断なく動く機械によって労働日を延長する。機械装置の発達とともに強力となる労働時間短縮の闘争は、機械が労働時間の短縮の手段となっているからではなくて、逆に無制限に延長する手段となっている機械の資本主義的利用形態への反抗を示すものに他ならない。そして資本主義体制のもとでは、機械は、第三に、労働の強化の手段である。強圧的な労働日の制限は「機械の速度を高めることと、同じ労働者によって監視される機械装置の範囲、すなわち彼の作業場面の範囲を拡大すること」によって、この「二重の仕方」で、機械による労働の強化を行い、それはまた、労働力そのものを破壊するほどの労働の強度を産み出すことによって、やがて再び、「労働時間の再度の減少を不可避にする一転回点」にまで達せざるを得ない。

そして、機械の資本主義的使用は、「一部は労働者階級中の従来は手の届かなかった諸層を資本に役立てることにより、一部は機械に駆逐された労働者を遊離させることによって」資本の命ずる法則に従わねばならない「過剰労働者人口」を生産する。

しかし、機械の資本主義的使用の最も大切な特徴は、機械が常に賃金労働者を「過剰」にしようとする優勢な競争者として作用するのみではなく、資本の専制に反抗する労働者を抑圧する「最も強力な武器としてのみ生まれ出た、一八三〇年以来の諸発明の一つの全き歴史を書くことさえもできるであろう。」(『資本論』第一巻第十三章第五節労働者と機械との闘争)といわれるほどに、「社会的労働過程においては、労働者が労働条件を使用するのではなく、労働条件が労働者を使用するという、「資本主義的生産に共通」の「顛倒」が、機械装置をもってはじめて「技術的に明瞭な現実性」を受け取る。労働者はブルジョア的私有財産秩序としての「機械体系」によって支配される。機械においては、道具は、「人体の道具」ではなくて、道具機という「一つの機構」の道具であり、マニファクチャにおいて、道具を用いる部分労働者をその分肢とする「結合労働者」または「全体労働者」として、「労働者そのものから独立した客観的な骨骼をもたない」で「純主観的」であるのに反して、機械体系において、大工場は労働者から独立した「一つの全く客観的な生産有機体」をもち、「機械装置の自動的体系」、機械体系は、ブルジョア的私有と不可分に合生した「主人」として労働者を支配する。資本主義体制のもとでは、「労働手段の斉一な運動への労働者の技術的従属」であり、ブルジョア的私有財産秩序の普遍的な力として労働者から独立に存在する「死んだ機構」が「生きた付属物」として配列された労働者を支配する。

資本主義体制のもとでの労働の「社会的人員配列」はどうか? まず資本主義的協業とは何か? 「同一の生産過程において、または相異なってはいるが関連のある諸生産過程において、計画的に相並び相協力して労働する多数者の労働の形態」である協業は、その資本主義的形態すなわち、一方では生産諸条件の共有に、他方では個々の個人が、まだ種属または共同体の臍帯から離れていなかったことに基く協業や、直接的支配、隷属関係に基く協業から区別されて、「自己の労働力を資本に売る自由な賃金労働者を、初めから前提にしている」が、農民経営、独立的な手工業経営に対する反対物として発展する限り、「協業そのものが資本主義的生産過程に特有な、またこれを特殊なものとして区別する一つ歴史的形態として現われる」。そして機械装置は、若干の例外を除いては組織された共同的労働手段として、直接に社会化された労働、すなわち共同的な労働によってのみ機能するのであるから、大工業においては、労働過程の協業的性格は、「労働手段そのものの性質によって命ぜられた技術的必然性」である。

協業は「単純な協業」であれ、「分業に基づく協業」であれ、「機械装置に基づく協業」であれ、結合労働力としてそれ自体が集団力である新たな一生産力を創造する。多数の力が融合して一つの総力となることから生ずる新たな力能としての「社会的な力能」は、個々別々の労働者の力の機械的総計と本質的に異なって、一つの「種属能力」として、「労働の社会的生産力または社会的労働の生産力」である。しかし、資本主義体制のもとでは、労働者は彼の個別的な単独の労働力のみを売ることができ、資本家は結合労働力の価値を支払うのではないのであるから、また協業は労働過程においてはじめて始まるのであるから、労働者が社会的労働者として展開するこの生産力は、資本にとって無償の自然力として、「資本が本来具有する生産力」、「資本に内在的な生産力」すなわち「資本の生産力」として現われる。労働者の諸機能の関連と全生産体としての労働者の統一とは、労働者の外に、資本の中にある。「ゆえに、彼らの労働の関連は、観念的には資本家の計画として、実践的には資本家の権威として、彼の行為を自己の目的に従属させる他人の意志の権力として、彼らに対立する」。社会的労働が資本の権力として労働者を支配する。

資本主義体制のもとでは、生産過程の「精神的諸力能」「頭の労働」が、他人の所有として、他人の労働として「手の労働」から分離し、労働者に敵対する資本の権力に転化するというこの分離過程は、単純な協業において始まり、マニファクチャにおいて発展し、「機械装置の基礎の上に築かれた大工業」、「科学を独立の生産力能として労働から分離して資本に奉仕せざるを得ざらしめる大工業」において完成する。「産業士官」及び「産業下士官」からなる「一つの特別な種類の賃金労働者」が資本家を「産業的司令官」とし、「監督賃金」をふるまわれ、資本の名において彼らの独占的な機能に固定して「監督、指揮の労働」を行う。産業兵卒と産業下士官とへの労働者の分割が進展し、「兵営的な規律」が発達して完全な工場体制をととのえる。「資本家の指揮は、一面では生産物の生産のための社会的労働過程であり、他面では資本の価値増殖過程であるという指揮されるべき生産過程そのもの二重性のために、内容から見れば、二重的であるとしても、形式から見れば専制的である」(『資本論』第一巻第十一章協業)。さらに、全機械装置の監視とその常時の修理とに従事する技師などや、価格計算、簿記、会計、通信等の「商業的操作」に従事する商業労働者など、「工場労働者」の範囲外に属する「賃金労働者の比較的高級な部類」すなわち「その労働が熟練労働であって平均労働の上に位する賃金労働者」が存在する。かくして、機械体系を「武器」とし、監督賃金によって飼育された産業士官及び産業下士官の系統図をもち、「兵営的な規律」に打ち固められた資本の権力がブルジョア私有財産秩序の「社会的権力」として労働者を「専制的」に支配する。

「能う限り大なる剰余価値生産」、「能う限り大なる資本の自己増殖」、「能う限り大なる労働搾取」のこの資本にとっての「生産性の向上」に「最も経済的」たるべく、労働手段と労働の社会的人員配列をくりかえし変革し、改善し、「合理化」することは、とりもなおさず労働に対する資本の社会的権力の、「資本家への労働者の絶望的従属」のヨリ一層の完成への運動である。だからこそ労働手段と労働の社会的人員配列の「合理化」に反抗する反合理化闘争は、発射点におけるブルジョア的私有財産秩序への労働者の反逆としてのみ反合理化闘争であり得る。

[引用掲載おわり。]

                                  


註二 

「機械では労働手段の運動と働きとが労働者に対して独立化されている。労働者手段は、それ自体として、一つの産業的な恒久運動機構となり、この機構は、もしそれが自分の人間的補助者のなかのある種の自然的制限すなわち彼らの肉体的弱点や彼らのわがままに衝突しないならば、不断に生産を続けるはずのものである。だから、それは、資本としては――そして資本としては自動装置は資本家において意識と意志とをもつのであるが――、反抗的ではあるが弾力的な人間的自然的制限を最小の抵抗に抑えつけようとする衝動によって、活気づけられているのである。」(資本論「原p425」)

「機械は、いつでも賃金労働者を『過剰』にしようとしている優勢な競争者として作用するだけではない。機械は、労働者に敵対する力として、資本によって声高く、また底意をもって、宣言され操作される。機械は、資本の専制に反抗する周期的な労働者の反逆、ストライキなどを打ち倒すための最も強力な武器になる。」(資本論「原p459」)

「資本主義的生産がただ労働過程であるだけでなく同時に資本の価値増殖過程でもあるかぎり、どんな資本主義的生産にも労働者が労働条件を使うのではなく逆に労働条件が労働者を使うのだということは共通であるが、しかし、この転倒は機械によってはじめて技術的に明瞭な現実性を受け取るのである。一つの自動装置に転化することによって、労働手段は労働過程そのもののなかでは資本として、生きている労働力を支配し吸い尽くす死んでいる労働として、労働者に相対するのである。生産過程の精神的な諸力が手の労働から分離するということ、そしてこの諸力が労働にたいする資本の権力にかわるということは、すでに以前にも示したように、機械の基礎の上に築かれた大工業において完成される。」(資本論「原p446」)

「労働手段の一様な動きへの労働者の技術的従属と、男女の両性および非常にさまざまな年齢層の個人から成っている労働体の独特の構成とは、一つの兵営的な規律をつくりだすのであって、この規律は、完全な工場体制に仕上げられて、すでに前にも述べた監督労働を、したがって同時に筋肉労働と労働監督者とへの、産業兵卒と産業下士官とへの、労働者の分割を十分に発展させるのである。」(資本論「原p447」)


(註三)

「しかし、剰余価値を生産するための方法はすべて同時に蓄積の方法なのであって、蓄積の拡大はすべてまた逆にかの諸方法の発展のための手段になるのである。だから、資本が蓄積されるにつれて、労働者の状態は、彼の受ける支払いがどうであろうと、高かろうと安かろうと、悪化せざるをえないということになるのである。最後に相対的過剰人口または産業予備軍をいつでも蓄積の規模およびエネルギーと均衡を保たせておくという法則は、ヘファイストのくさびがプロメテウスを岩に釘づけしたよりももっと固く労働者を資本に釘づけにする。」(資本論「原p675」)

「産業予備軍は沈滞や中位の好況の時期には現役の労働者群を圧迫し、また過剰生産や発作の時期には現役軍の要求を抑制する。だから、相対的過剰人口は、労働の需要供給の法則が運動する背景なのである。それは、この法則の作用範囲を、資本の搾取欲と支配欲とに絶対的に適合している限界の中に、押し込むのである。……

労働にたいする需要は資本の増大と同じことではなく、労働の供給は労働者階級の増大と同じことではなく、したがって、お互いに独立な二つの力がお互いに作用し合うのではない。さいころはいかさまだ。資本は両方の側で同時に作用する。一方で資本の蓄積が労働に対する需要をふやすとき、他方ではその蓄積が労働者の『遊離』によって労働者の供給をふやすのであり、同時に失業者の圧力は就業者により多くの労働を流動させることを強制して或る程度まで労働の供給を労働者の供給から独立させるのである。この基礎の上で行われる労働の需要供給の法則の運動は、資本の専制を完成する。」(資本論「原p668〜669」)

「社会的な富、現に機能している資本、その増大の規模とエネルギー、したがってまたプロレタリアートの絶対的な大きさとその労働の生産力、これらのものが大きくなればなるほど、産業予備軍も大きくなる。自由に利用されうる労働力は、資本の膨張力を発展させるのと同じ原因によって、発展させられる。つまり、産業予備軍の相対的な大きさは富の諸力といっしょに増大する。しかしまた、この予備軍が現役労働者軍に比べて大きくなればなるほど、固定した過剰人口はますます大量になり、その貧困はその労働苦に反比例する。最後に、労働者階級の極貧層と産業予備軍が大きくなればなるほど、公認の受救貧民層もますます大きくなる。これが資本主義的蓄積の絶対的な一般的な法則である。」(資本論「原p673」)